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八雲町平和学習事業派遣団「平和の誓い」

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2022年8月15日更新

令和4年度八雲町平和学習派遣事業を実施しました

原爆ドーム前平和記念式典会場前とうろう流し

八雲町では、八雲町の核兵器廃絶平和都市宣言(平成20年3月21日)に基づき、町内の中学生へ平和の大切さを学習してもらい、八雲町における次世代への平和教育の普及と振興を図ることを目的として、人類史上最初の原子爆弾が投下されたまち、広島県へ生徒を派遣する「八雲町平和学習事業」を実施しています。

新型コロナウイルスの流行により、令和2年度より2年間はその派遣を中止してきたところですが、令和4年度においてはこれまでと同様、町内各中学校から選出された代表生徒5名の派遣に加え、コロナ禍により事業に参加することができなかった学年より2名の参加者を募集し、8月5日から7日にかけて広島県へ派遣しました。

被爆者の高齢化が進む中、被爆体験の風化や若い世代を中心とした平和意識の低下・希薄化が強く懸念されています。
この夏、派遣生徒たちは広島でどのようなことを学び取り、平和について何を考えたのでしょうか。

帰町後、派遣生徒が作成した「平和の誓い」を、下記のとおり八雲町ホームページに掲載します。

平和の誓い

八雲中学校 3年 S・Kさん

 今回、広島で歴史資料館に行ってきました。そこで、原爆の恐ろしさを知りました。多くの命が亡くなるのはもちろん、人の人生や今後の未来をも変えてしまうということです。私が印象に残ったのは、被爆者の遺品と最期の言葉でした。特に言葉は、どれもが日常的かつどこか希望のあるメッセージで、全貌を知ってしまった私は深く心を抉られました。
 戦争の醜さを知った、戦争をする人間の大義という言葉は無用だと知った…。私はこの体験を通して、今やこれからが原爆が落とされた日のようになりたくないと心から思います。だからこそ、核兵器について“減らす”という観点ではなく“根絶”という立場で意識するべきだと考えます。

八雲中学校 1年 M・Wさん

 私は、「広島に行って、見てきたらどのような気持ちになるのだろう」と、軽い気持ちで広島に行きました。ですが、実際に広島に行って、見て、講話を聞いてみると、思っていたよりもずっと残酷なものでした。被爆して一瞬で亡くなる人、生き残っても後遺症で苦しむ人などさまざまだったり、生き残った人が焼け野原になった広島の町を見て悲しんでいる様子だったり…一つの原爆が投下されるだけでこんなにもひどいことになるとは思ってもいませんでした。たくさんの人が亡くなり、悲しむような原爆…核兵器は、絶対にこの世界にあってはいけません。少しでも多くの核兵器をなくせるように世界が協力して、投下するボタンを消していきたいです。そして、周りの人の平和への意識を向上させ、将来、核兵器や戦争のない平和な世界を創り上げていきたいです。

野田生中学校 2年 Y・Kさん

 広島で原爆によって被爆した方の伝承講話を聞きました。原爆による被害や恐ろしさ、後遺症について学びました。生き延びることができても、日が経つと病気を発症し、たくさんの方々が亡くなってしまいます。それに、病気を乗りこえ、子どもができたとしても、その子どもも、病気を発症し、亡くなってしまいます。話を聞いていると、その時の情景や悲惨さが思い浮かび、ゾッとしてしまいます。戦争中は資源が少なく、あらゆる物資が決められた量だけしか使えなかったようです。今は外国からの輸入もあって物資は安定していますが、77年前のように戦争がおきれば、昔のように資源が安定しなくなると思うと、やはり、他人事と捉えることはできないと思いました。
 戦争や原爆の恐ろしさを知らない人はたくさんいます。その人たちに、戦争の恐ろしさを教え、後世の人たちにも伝えることが大事です。

落部中学校 3年 S・Iさん

 私は“戦争”というものを1つのフィクションのように感じていました。ですが、8月6日の平和記念式典に参列し、原爆が落ちたのは77年前のこの日に実際に起こった出来事なのだと痛感しました。

 日本は77年前に直接戦争をすることをやめていますが、世界を見れば、戦争やテロなど争いごとがまだ沢山あります。戦争をして得をする人など、ほんのごく一部の人で、多くの人は大きな傷を負い、幸せにはなれません。

 「いってきます。」「いってらっしゃい。」この言葉を最後に永遠の別れとなるような人達がいなくなり、「ただいま。」「おかえりなさい。」この何気ない会話を毎日できる環境がどこにでもある未来を作っていきたいです。なので、この平和記念式典で感じたことを表面上の綺麗事にならないように、多くの人に感じたことや学んだことを伝えていきたいと思います。そして、戦争に無関心だった人などが、戦争を他人事として考えず、戦争の恐ろしさについて考える時間が増えるように努めたいと考えています。

熊石中学校 3年 Y・Kさん

 私は、被爆した広島を訪問し、戦争や平和の大切さを感じ取ることができました。1日目は、ボランティアガイドさんによる解説があり、核兵器がどれだけ恐ろしいものなのかを教えていただきました。原爆ドームのもとの建物は、美術展示会や県内の物産の即売が行われていて人々が集まる場でもありました。その建物に原子爆弾が投下され、原爆ドームとなり人々がくらしてきた町や村、大切なものが原爆によって一瞬でがれきとなりました。そんな恐ろしい核兵器が投下されたということを私は沢山の人に伝えたいと思います。
 今は、被爆者が高齢者となっているため、私たちが原爆の恐ろしさを次の世代へ伝え続けていきたいです。そして、一人一人が平和の大切さを理解し、今回の平和学習事業で学んだ体験をこれからの人生に活かしたいと思います。

八雲中学校卒業生 高校1年生 M・Oさん

 当時、爆心地から約410メートルの位置にあった旧本川国民学校に訪れました。

 原子爆弾が落とされた8月6日の8時15分、たくさんの子ども達や先生がいました。しかし、一瞬にして学校の鉄筋コンクリートを残しすべてをなくしてしまいました。学童疎開をして戻ってきた子ども達は、両親や家をなくしていた子が多くいましたが、生きることを諦めない強い心を持っていました。

 戻ってきた子ども達のように、一人になっても生きる事を諦めなかった人がたくさんいたからこそ今の平和な日本がある事がわかりました。そして、今生きている私達がそれを引き継げるよう原爆の恐ろしさや戦争はしてはいけないという事をこれから伝えていきます。

落部中学校卒業生 高校1年生 A・Kさん

 広島の立派な街中に突然原爆ドームが現れ私は言葉を失いました。現地のボランティアガイドさんの話を聞いたり、テレビや写真でしか見た事のない物を実際に見て、あの日、8月6日、広島の人達の命を一瞬にして奪った核兵器の恐ろしさがわかりました。私が一番印象に残っているのは「8時15分」という数字です。この時間に原爆が落とされました。登校する学生、朝食を食べている家族、仕事をしていた人、色々な人がいたと思います。このような人達の命を奪った核兵器を私は許せません。今、広島に原爆ドームがある理由は、核兵器の惨禍を伝え、時代を超え核兵器の廃絶、平和の大切さを訴えるためだそうです。私は、今回のこの派遣で学んだ事を忘れる事なく、次の世代にも語り継いでいきたいと思います。

(参考)広島での学習プログラム

  • ボランティアガイドによる平和記念公園内の慰霊碑・施設等の解説
  • 平和記念式典への出席
  • 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の見学
  • 被爆体験伝承講話の聴講
  • とうろうピースメッセージの作成
  • 平和の鐘の試打
  • 「原爆の絵」絵画展の見学
  • 被爆体験講話の聴講
  • 平和記念資料館の見学
  • 本川小学校平和資料館の見学

事業主催者

八雲町平和学習実行委員会(八雲町教育委員会社会教育課内)

八雲町末広町154番地 電話 0137-63-3131