「龍馬伝の世界」(NHKテレビ放送)と八雲
ここでは、NHKの「龍馬伝」と多少関係のある八雲の事柄について記載しています。
龍馬と学んだ「海軍繰練所」塾生小和野幸輔
明治9年山越内(現山越)で漁場を開き、明治18年には奥津内(現浜松)の未開墾地の払い下げを受けて農場を開き、八雲村農会の要職を務めるなど、八雲村の発展に貢献した人物に竹内幸輔がいる。
この竹内幸輔は、元の名を小和野幸輔と言い、肥後(現熊本県)藩士小和野源四郎の二男で嘉永元(1848)年に生まれた。勝麟太郎(勝海舟)が神戸に設けた「海軍操練所」の塾生として学び、21歳で榎本軍の率いる軍艦に乗り込み箱館戦争で戦うが敗れる。幸輔は、官軍の捕虜となることをきらいユーラップ浜(現八雲町内浦)に逃れ、竹内宇吉にかくまわれ、後に竹内家の養子となって、その後の人生を八雲で過ごした。
明治30年、榎本武陽が農商務大臣をしていた頃、幸輔が上京して再会を喜び、一夜料亭で語り合ったと言われている。
竹内農場事務所跡(八雲町浜松)