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町名「八雲」の由来

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2019年2月1日更新

「八雲」の名称は、1878(明治11)年に山越内村遊楽部の開墾事業を始めた徳川慶勝の意向によって命名されました。命名に至った経緯については、明らかではありませんが、須佐之男命(「日本書紀」では素戔嗚尊)が出雲の国の須賀において、新婚のための宮を造りになった時に詠んだ歌によるといわれています。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに

 八重垣つくる その八重垣を(古事記)

 村名「八雲」は1881(明治14)年7月8日の村の誕生によりますが、「八雲村」として一村独立の出願することとしたのは1879(明治12)年3月で、遊楽部を開拓始めた頃には「八雲」の名称が考えられていたようです。このことは、1879年8月18日に開校した学校を「八雲学校」と「八雲」の名称を公式に使用していることからも分かります。

八雲町役場前庭にある和歌「八雲立つ~」の碑

町名の由来となった和歌「八雲立つ~」の碑所在地 八雲町住初町138番地八雲町役場前庭

熊野大社(島根県松江市八雲町)にある和歌「八雲立つ~」の碑

須佐之男命(日本書記では素戔鳴尊)を御祭神とする熊野大社(島根県松江市八雲町)にも和歌「八雲立つ~」の碑があります。