八雲町史
1869(明治2)年8月、蝦夷地は「北海道」と改められ、落部村は開拓使の直轄地、山越内村は兵部省の支配地となります。翌年2月になると、山越内村は兵部省から斗南藩(元会津藩)の支配となります。1871(明治4)年になると、廃藩置県によって分領支配は廃止され、北海道一円が開拓使の統轄となり、落部村、山越内村は函館支庁の管下となります。1871(明治5)年には、『大区小区制』が制定され、1873(明治6)年5月に落部村は、尾白内村・森村・鷲木村と共に6大区3小区、山越内村は七大区一小区に区分されました。1876(明治9)年9月、開拓使は、それまで支庁ごとに実施していた大小区画を統一して「北海道大小区画」を定めたので、落部村は森村・鷲木村・蛯谷村・石倉村・宿野辺村と共に大18区3小区、山越内村は大19区1小区に変更されました。1878(明治11)年7月になると大小区制が廃止され、(1880)明治13年1月「郡区町村制」が適応されることとなり、茅部郡落部村、山越郡山越内村となります。
1878年には、山越内の支郷である遊楽部に名古屋藩徳川家(元尾張藩)が旧家臣を入植させ、開拓を始めると、遊楽部は急速に発展を遂げ、1881(明治14)年には、黒岩を含め山越内村より分離独立し八雲村が誕生しました。1887(明治20)年には山越内村より戸長役場が八雲村に移り、八雲村外一カ村戸長役場と改称されました。明治26年に郵便局も八雲村に移り、行政の中心は次第に八雲村へと移行し、1902(明治35)年に、山越内村を八雲村に併合して、二級町村制による八雲村が誕生しました。
1918(大正7)年12月には町制を実施し「八雲町」となりました。1953(昭和28)年には「町村合併法促進法」(時限立法)が公布され、「落部村」と「八雲町」の合併協議が行われましたが進展はしませんでした。昭和32年に「新市町村建設促進法」による知事の合併勧告が出され、落部村が八雲町に編入とする方法で1957(昭和32)年4月1日に合併が成立し、黒岩から栄浜を範囲とした「八雲町」が誕生しました。
2005(平成17)年10月1日には、渡島半島の山脈を越えて、檜山管内熊石町と新生合併が行われ、新たな「八雲町」となりました。