学校沿革
学校創設のころ(学校創設?明治20年代まで)
学校創設時代の野田追地区の教育は、明治13年(1880年)に落部小学校の設立に際し、野田追地区住民も寄付金を拠出し、子弟を通学させる方法をとっていたがその後、人口の増加により児童の通学が遠距離であることが問題となり、地元に学校設立の声が高まった。このため村内住民協議の結果、民家を借り上げ、明治16年(1883年)2月、仮教場ながら「落部学校野田追分校」が設置された。
翌明治17年(1884年)12月、住民から寄付金を集め、野田追2番地、加我吉兵衛氏の所有地130坪に74?(22,5坪)の校舎を新築し、児童20名を収容して、ようやく学校教育が軌道に乗ったのである。
当時、分校の運営費は、野田追川の渡し舟賃の収益の中から130円を充当し、不足分は戸賦金により賄っていたが、明治22年(1889年)12月、森?長万部間の国道が開通し、野田追川にも橋が架けられたので、渡舟事業は廃止され、たちまち分校の運営は苦境に立ち至った。打撃を受けた落部村では、村内協議の結果、明治23年(1890年)から野田追分校を閉鎖し、再び児童を落部本校に通学させる措置をとったのである。
一方、徳川家開墾地では、明治21年(1888年)の氏族移住を最後に小作経営に切り替え、積極的に小作人の受け入れを進めたので、明治25年(1892年)には24戸の入植者があり、人口の増加が見られ、子弟の教育問題が再度協議され明治26年(1893年)再び野田追分校が再開された。この頃の児童数は45名に達し、その中で一部の児童は対岸の野田生地区からも通学していたと言われている。
野田追尋常小学校のころ(明治30年代?終戦まで)
明治28年(1895年)4月、本校である落部小学校が、落部尋常小学校と改められた。野田追分校も自動的に「落部尋常小学校野田追分校」と改称された。この間、児童数の増加も著しく、明治33年(1900年)12月、昇格して「野田追尋常小学校」となった。この前後に児童数の増加と通学区域の拡大により、校舎の移転、改築について協議が続けられたが、徳川農場より閉鎖となった、野田生牧牛舎跡の建物と土地、4950 ?(1500坪)の提供(寄付)を受け、現在地である野田追92番地に66?(20坪)の教室2つと体育館116?(35坪)の校舎を新築した。このときの児童数は96名、4ヵ年履修2学級体制で、ほかに補習科と裁縫科が設置された。
明治41年(1908年)4月、修業年限が6か年間に延長され、地域の戸数も増加し児童数は106名となり、さらに大正5年(1916年)には122名を数えるに至った。当然教室が手狭となり、1教室を増築し大正9年(1920年)3学級編成となった。
しかしその後、第一次世界大戦後の農業恐慌により多数の離農者が続出し、人口が減少、児童数も120名前後となり、大正12年(1923年)から再び2学級編成に縮小された。
一方、明治34年(1901年)に新築された校舎も老朽化が激しくなったので、昭和4年(1929年)9月、同じ校地内に移転し改築された。
昭和16年(1941年)3月、国民学校令が公布され、同年4月より、「茅部郡落部村立野田追国民学校」と改称され、初等科6年間の履修校となり、翌昭和17年(1942年)4月、2年制の高等科1学級を併設した。
野田追小学校のころ(昭和20年代?40年頃まで)
昭和22年(1947年)4月、新教育制度が施行され、野田追国民学校は「落部村立野田追小学校」と改称された。また同年11月に「落部中学校野田追分校」が併置され、それまで落部中学校に通学していた生徒が勉強できるようになった。
昭和23年(1948年)野田追小学校は3学級編成となり、中学校の分校も正常化されるにつれて教室の不足が生じた。そこで、翌昭和24年11月に地域住民から寄付を集める緊急措置により、中学校の校舎2教室など188?(57坪)を増築し、昭和25年(1950年)4月、2学級編成の「落部村立野田追中学校」として独立し校章も新しく制定された。
しかし、旧来の小学校校舎は老朽化が著しく改築の必要に迫られ、落部村では昭和31年度(1956年度)から2か年計画で、校舎の全面的な改築に着手し、昭和32年(1956年)2月、普通教室3、特別教室1、玄関、廊下等の第1期工事の362?(109.75坪)が完成し、第1期工事の落成式を行った。
昭和32年(1957年)4月、新市町村建設促進法により落部村と八雲町が合併し新生八雲町として発足したが、校舎改築事業を引き継いだ八雲町は残りの第2期工事に着手、職員室や図書室、宿直室、便所、廊下、昇降口、教具室ならびに屋内体育館387?(117.25坪)が竣工、昭和34年(1956年)4月10日、盛大に改築落成式が挙行された。
昭和32年の町村合併による「新町建設計画」に盛られていた野田追中学校(生徒数61名)と落部中学校(生徒数124名)の統合整備計画は、両地区住民の要望も強かったので、建設期成会から出された町議会あての請願書が採択され、昭和34年(1959年)5月、八雲町立野田生中学校発足した。このときをもって本校に併置されていた野田追中学校が分離された。
昭和34年(1959年)4月14日、作詞・蝦名礼太氏、作曲・菅原憲明氏による現在歌われている「校歌」が制定された。
昭和37年(1962年)11月には開校80周年記念式典が挙行され、記念事業としてピアノ1台、放送施設等が整備されている。また、昭和40年(1965年)9月、開校80周年記念事業費と寄付金により「校旗」一式が制定、整備されている。
東野小学校?現在まで(昭和40年代?現在まで)
昭和45年(1970年)4月、旧落部村地内の字名地番改正により、校名も「八雲町立東野小学校」と改称され、通学区域も東野全区と旭丘の一部に整備され、学校所在地も「八雲町東野471番地」に改正された。
高度経済成長期の昭和40年代から離農・離職者が多くなり、また少子傾向等も原因で児童数の減少が続き、学級編成基準や教職員定数の改正により、教育環境はかなり改善され、6学級単式校の年があったが、学年の児童数の関係から4?5学級編成の一部複式形態による学級編成が多くなっている。
昭和58年(1983年)には開校百周年を迎え、同年10月開校百周年記念式典ならびに祝賀会が行われ、同時に記念誌の発行、記念碑の設立、校旗製作、学校園移設、遊具改修等の事業が行われた。
昭和33年に改築された校舎は、27年間を経過し老朽となったので、八雲町では昭和60年(1985年)から2期工事計画で鉄筋コンクリート造り2階建て1275 ?Ff方式の暖房の快適な校舎改築工事に着手、昭和61年(1986年)11月28日竣工、翌昭和62年1月22日、改築落成記念式典ならびに祝賀会が挙行された。同時に小公園に設置された開校百周年記念碑の除幕式も行われた。
平成元年(1989年)9月、第38回全道へき地複式教育研究大会渡島大会が開催されたが、本校は第10分科会海上校として、集合学習と2・3学年の複式学級算数科の授業を公開し、研究の成果を交流した。
昭和63年(1988年)2月、八雲町教育委員会は「八雲町小中学校適正配置計画」をまとめた。その中で教育の機会均等の確保や教育水準の向上、施設・設備の整備・充実等の観点から、可能な限り極小規模小学校の統合を推進することになり,平成2年(1990年)9月開催の定例町議会において、近隣の蕨野小学校を本校に統合することを決定した。蕨野小学校の児童は平成3年(1991年)4月1日よりスクールバスの運行により、本校児童と共に教育が行われることになり、現在に至っている。
平成4年(1992年)11月、渡島教育研究集会が八雲町を会場に開催されたが、本校では社会科(4年)、家庭科(5,6年)の授業を公開し、研究実践の交流を行った。
平成5・6年度には道より環境保全モデル校、平成7・8年度には渡島教育局より環境教育推進指定、平成10年度には渡島教育局主催地域教育フォーラムにおいて環境教育に関わる授業を公開し、渡島管内教育実践表彰を受けた。
平成11年度(1999年度)本校は4学級編成となり、教職員は9名となった。
「個性を磨き、生き生きと表現し学習できる子の育成」?一人一人の「よさ」を生かした授業をめざして?の研究主題に基づき、研究3年目の実践を推進している。この年渡島管内学校教育優良実践校表彰を受ける。耳づり体験学習をはじめる。
平成12年度(2000年度)文部省道徳教育体験推進事業落部地区の推進校となる。この年第48回渡島複式教育研究大会八雲大会授業校となる。
八雲祭りに東野ソーランが初めて参加する。
平成13年度(2001年度)どんどん学び館にコンピュータが導入され児童が
使い始める。
平成15年度(2002年度)開校120周年記念式典が行われる。
平成16年度(2003年度)4学級編成(3・4年、5・6年複式)
平成17年度(2004年度)4学級編成(3・4年、5・6年複式)
平成18年度(2005年度)4学級編成(3・4年、5・6年複式)
東野築港にスローガンと絵を描く(3年生以上)
平成19年度(2006年度)4学級編成(3・4年、5・6年複式)
渡島学校保健会研究大会八雲大会兼渡島学校保健研究会Cブロック研究大会開催
平成20年度(2007年度)5学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援1)
平成21年度(2008年度)5学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援1)
渡島複式教育研究大会八雲大会 研究発表・授業公開
平成22年度(2009年度)6学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援2)
平成23年度(2010年度)6学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援2)
平成24年度(2011年度)6学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援2)
平成25年度(2012年度)5学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援1)
平成26年度(2013年度)5学級編成(1・2年複式、3・4年単式、5・6年複式、特別支援1)
平成27年度(2014年度)4学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援1)
全道複式研究大会渡島プレ大会 研究発表・授業公開
平成28年度(2015年度)5学級編成(1・6年単式、2・3年複式、4・5年複式、特別支援1)
平成29年度(2016年度)5学級編成(1・2年単式、3・4年複式、5・6年複式、特別支援1)
平成30年度(2017年度)3学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式)
平成31年度(2018年度)3学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式)
令和元年度(2019年度)3学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式)
令和2年度(2020年度)3学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式)
令和3年度(2021年度)4学級編成(1・2年複式、3・4年複式、5・6年複式)
令和4年度(2022年度)4学級編成(1年単式、2年単式、3・4年複式、5・6年複式)