イコトル


ユーラップアイヌのリーダー
椎久年蔵(トイタレキ)の前にユーラップアイヌのリーダーだったイコトルは、昔からの熊狩りの大ベテランである数人のアイヌとともに、徳川義親をユーラップ岳の熊狩りに案内をしました。義親は、彼らと寝食を共にし、雪中の熊狩りのなかで、アイヌの歴史と生活について学びました。
例えば、木の枝の先に雪玉をくっつけて、それを川の中にいれて水分を含ませて、それを吸って水分補給する方法といったことです。

左から四人目がイコトル、五人目が椎久年蔵。
イコトルは、義親が大正13(1924)年に第一回農村美術工芸品評会を開催した時、張り切って5点出品したそうです。実物は残っていませんが、出品リストによると、鮭皮製ケリ、ツマゴ、カンジキ、キナ、マキリ鞘です。