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八雲学講座⑤「八雲町におけるアイヌ文化」

今週は毎朝公民館敷地の雪かきから業務がスタートしていました。
社会教育課のぐみです。
そんな今日は久しぶりのプラス気温。解けた路面の雪にタイヤが取られて、これはこれで危ない…。

さて、先日、ついに今年度の八雲学講座も最終回を迎えました。
企画~準備期間は長いように感じるのに、講座が始まってしまえば終わりまであっという間ですね…。ちょっと寂しい気もするけど、最終回のレポートもいってみようっ。

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バックナンバーはこちら
第1回「八雲の林業の歴史と尾張徳川家のはなし
第2回「実は知らない、八雲で起きた自然災害と地質のお話
第3回「八雲町の太陽光発電を知ろう!」
第4回「なるほど!ザ・ヤクモ」
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12月7日(水)18時30分~20時、公民館で今年度最終回となる第5回目の八雲学講座を開催しました。
テーマは、
「八雲町におけるアイヌ文化~徳川さんとの意外なつながり~」
と題し、八雲町郷土資料館学芸員の大谷茂之氏に講師をお願いしました。

講師の大谷学芸員

漫画(アニメ)の「ゴール●ンカムイ」や白老にオープンしたウポポイの影響もあり、
全国からも注目を集める北海道のアイヌ文化。
八雲にもアイヌの方はいたんだよ、と話には聞くものの、きちんと学んだことはあまりないな…という思いから企画しました。
当日は、そもそも「アイヌ文化」って何?という基本の学習から、アイヌの和人に対する大きな戦いについて(コシャマインの戦い、シャクシャインの戦い…そういえば歴史の授業で習ったなあ…!)、そして、蝦夷・和人の住み分けで登場してくる「熊石」番所・「山越」内場所の存在など、だんだんと八雲に近づいた話も展開されてきました…!(わくわく…!)

講座の様子


1809年の山越内場所ではどんなものが捕れていたのかというと…(出産物)鱈や昆布、鮭などを捕り、オットセイ(!)はオシャマンベ名産として献上、熊の皮や肝も毎年あるが多くはない…など、どんどん出てくるパワーワードの数々。

八雲のアイヌの人々がどんな生活をしていたかというと、狩猟や漁・採集を基本とし、交易をしていたことに加え、畑もやっていたんだそう。丸木舟を使って町内の川も渡っていたそうで、そういえばこの丸木舟は郷土資料館にもありましたね。

そして八雲の歴史を振り返るうえで欠かせない「徳川さん」。
「熊狩の殿様」とも呼ばれた徳川義親は、熊狩の際はアイヌとともに山に行っていたのだそうです。(大正7年から昭和14年まで、ほぼ毎年行っていたそう。すごいですね…)
大正9年には徳川家が主催して東京松坂屋でのアイヌ慈善バザーが行われていたり、
アイヌ文様を取り入れた浴衣があることや、ユーラップアイヌが農民美術品評会に出品していることからも(ただし木彫り熊は作っていない)、徳川義親とアイヌの良好な関係があったことがわかり、それが八雲のアイヌの大きな特徴なのだそう。徳川さんとアイヌの間にあるほっこりエピソードを多く聞くことができました。
ほかの地域では和人とアイヌの諍いの話をよく聞きますので、それを思うと、いっそう八雲の特徴といえますね。
余談ですが、ユーラップアイヌの衣装(ルウンペやアットゥシ)を見ると、八雲山車行列を思い出してしまうわたし。(町長をはじめとした来賓の皆さんには、ユーラップレラの会さんからお借りしている衣装を当日着用いただいているのです。)
このような衣装をはじめ、ユーラップアイヌが獲ったクジラの骨も、八雲町郷土資料館で通年展示していますので、今度は「八雲のアイヌ文化を学ぶ」という視点で、改めて資料館を訪れてみるのもいいかも!

最終回もご参加ありがとうございました!

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八雲学講座は、フロアからの質問と、それに対する講師の回答から、さらに全体の学びが深まる…とても興味深い講座の1つです。
今年も、八雲に永く住んでいる・八雲をよくご存じだからこその質問・意見もいただき、私も大変勉強になりました。
受講生アンケートにもたくさんの感想をお寄せいただいておりますので、貴重なご意見を参考にしながら、今年度の反省・また来年度の企画の参考にさせていただきたいと思います。

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