やふー!しげちゃんです。
だいぶ時間があいてしまいましたが、5月2日のイカさまタコさまはご覧いただけましたでしょうか?
八雲の木彫り熊が取り上げられました。
その放映で私がつまってしまっていた「サケをくわえている木彫り熊がなぜ八雲にないのか?サケをくわえている木彫り熊の起源は?」という質問について、少し詳しく書いてみたいと思います。
いやこれホント、明確な起源はわからないので、推測になってしまうんですよね。
新たにわかったことがあれば書き直したいと思いますが、現在の段階での推論を述べてみます。
函館で買ったミニクマ。小さくても鮭くわえてます。ちい散歩で紹介されたやつだそーで、これでお値段500円。
なぜサケをくわえた熊は八雲町(の郷土資料館)にないのか?
サケをくわえた熊は、昭和6年の農民美術研究会のリストに「鮭食い熊」という作品名があるため、木彫り熊制作され始めたころから作られてはいたようです。
ではなぜ八雲ではあまり作られなかったのでしょうか?
この理由は3つ考えられます。
まずひとつめ。サケをくわえた熊は、不自然な姿になるから。
八雲の熊は日本画家の十倉さんの指導で、日本画的な要素を持った写実的な熊なのが持ち味です。
以前、引間さんにインタビューした記録があるのですが、そこで引間さんは「サケをくわえた熊は不自然なので、頼まれたとき以外は彫りません。」と答えていらっしゃいます。
ふたつめ。サケ獲ってる熊をあまり見ていないから。
八雲の熊の制作者は、基本的に農民です。熊のデッサンについては徳川農場にあった檻の中の熊を参考にしていました。
そのため、大自然のなかの熊をモチーフにしなかったのではないかと思われます。
みっつめ。これは八雲で木彫り熊が好きな人によく「八雲の熊は共生してる熊だよ」と言われます。
ふたつめの理由と重なりますが、檻の中の熊を観察するとか、人の社会にいる熊を見ています。
飼ってる熊だからどんどん太っていって、それを参考にしている木彫り熊も太っていったというお話があるぐらい、身近な存在です。
また、擬人化してる熊も多く、熊の学校だったり、楽器を演奏している作品があります。
そういったなかに、サケを荒々しく獲っている熊はなじまなかったのではないか、と思われます。
鮭背負い熊(上村氏作)
いまのところ考えているのは、この3つの理由です。
これらのうちの1つが正解なのではなく、合わさっているのではないかと思っているのですが、どうなんでしょう。
では、「サケをくわえた熊の起源は?」「なんで北海道の木彫り熊といえばサケをくわえている熊を思い浮かべるようになったのか?」ですが、ちょっと推測してみましょう。
まず、サケをくわえた熊の起源については、八雲だと思われます。
で、木彫り熊といえば、サケをくわえた熊になった理由は、観光ブームだった昭和30~40年の時に、北海道らしい土産を買い求める人たちにとって、北海道を代表するサケと熊が結びついたスタイルが大ウケしたからなのではないか、と思います。
よく売れるから店には並んでるし、道外の人も買っていって持っているしで、北海道の木彫り熊はサケをくわえた熊のイメージが定着したんじゃないでしょうか。
資料館にある鼻曲がり鮭の剥製
と、ここまで私見を述べてきました。
八雲の木彫り熊についてもまだまだ勉強が必要ですし、旭川をはじめとした各地の木彫り熊に関しての知識もまだまだ足りないと感じているので、今後いろんなところに行って調べていきたいと思います。
またなにかわかったことがあれば発信していきたいと思っていますが、今回はこの辺で。
きっと次回も木彫り熊ネタ!
よろしくどうぞー。
(投稿者:しげちゃん)