ヤチブキの群生

 富咲地区のヤチブキの群生を見に行きました。5月の初めに訪れた時には、まだ雪が残り水芭蕉の群生でしたが、5月26日にはヤチブキの群生になっていました。「この辺にはマムシがいるよ」と言うアドバイスを受けていたので、湿地には余り近寄らずに写真を撮ってきました。付近にはエゾエンゴサクやニリンソウ、シロバナエンレイソウも咲いていました。
 

水芭蕉の群生 ヤチブキの群生

水芭蕉の群生(5月初旬)

ヤチブキ(エゾノリュウキンカ)の群生 5月26日

 

エゾエンゴサク

エゾエンゴサク
ニリンソウ
ニリンソウ
シロバナエンレイソウ
シロバナエンレイソウ

少し山の方に移動すると、開拓放棄地と思われる平坦に整地されたところに、桜が満開に咲いていました。

桜の大木

富咲地区の桜

投稿者:しんちゃん

カテゴリー: 八雲の自然 | コメントする

看板

やふー!しげちゃんです。

古い看板

別に私は危険じゃナイデスヨ?

 梅村庭園にある看板が、多年の風雪により崩壊とゆーかボロくなったので、一新しましょう!というお話になりまして。
いろいろ工作を頼むAさんにお願いして看板を作ってもらっています。

制作中

 文字は資料館にあった耐水ペーパーに印刷して、切り抜き型紙に。

 

型紙

 これ切り抜くのに大変な労力と時間がかかったそうです>Aさん談
「ま」とか「よ」とか、細い線でつながってたり芸が細かい!
それを木の板に貼り付けて、スプレーして…

ニス塗り前
こんな感じ

で、今は、ニスを塗って耐久性を高めているところです。

 

ニス塗り中

 もう少ししたら庭園にデビューすることになるでしょう。

 

 そんな梅村庭園は、今むせかえるような緑に包まれています。
来たばっかの頃とは全然違う感じに。

庭

 梅村庭園南の太鼓橋付近のモミジが綺麗に色づいてて、周りの緑といい感じになってます。
ツツジもまだ咲いてますよー。
今週末は落部公園でツツジ祭りが開かれますが、梅村庭園にも来てみてください。

特に祭りはしないですが。

よろしくどーぞ。

(投稿者:しげちゃん)

カテゴリー: 梅村庭園 | コメントする

寛保津波の碑

 平成23年5月25日の北海道新聞に、東日本大震災での「津波遡上高30m超8カ所」の記事がありました。津波遡上高とは、「津波が海岸に到着した後、さらに陸地をせり上がった高さ」と説明され、さらに寛保津波で34m、北海道南西沖地震では30.6mの津波遡上高があったと記されていました。
 寛保津波とは、『福山秘府』によると寛保元年(1741)7月16日に日本海の渡島大島が大噴火し、同19日に松前弁天島から熊石村にかけて大被害をもたらした津波で、溺死者1,467人、家屋倒壊791戸、破船1,521艘の被害があったそうです。
 「無量寺過去帳」によると、相沼内村では30人、泊川村では13人、熊石村では24名の死者があり、町内には、相沼の無量寺に供養碑があります。その他、松前町の光明寺と泉龍院に、江差町では正覚院と法華寺に供養碑があり、いずれも大津波の貴重な歴史的資料として北海道有形文化財に指定されています。

無量寺寛保津波の碑
無量寺寛保津波の碑

 延享3年(1746)に、津波犠牲者の七回忌に建立された地蔵座像で、背中には三個の穴が開いています。

投稿者:しんちゃん

 

カテゴリー: 八雲の歴史 | コメントする

梅村庭園の今

やふー!しげちゃんです。
次回も木彫り熊ネタとか書いてしまいましたが、梅村庭園のネタがホットで今を逃すと更新できなくなりそうなので先に差し込みで更新ー。

春の梅村庭園の草花については去年のしんちゃんの記事を参考にしてもらうとして…(梅村庭園のツツジ便り と 梅村庭園のツツジ便り(その2)

 今、梅雲亭入ってすぐのところに、生け花…っていうより木が生けられています。
写景というそうです。

写景

 使われているのは、ハナズオウ・ヤマツツジ・ツゲ・ボケ・キンバコテマリ・オオウバユリです。
6月17日までの展示ですが、枯れてきたら取り下げるかもしれないとのことです。
興味のある方はぜひ梅雲亭へ。
諸事情により最近使っている写真は画質良くないので、ぜひ本物を見てください。


淀川ツツジ

庭のツツジも満開です。

よろしくどうぞー。

(花や木の名前は梅村庭園の管理人さんに聞きました)

 

(投稿者:しげちゃん)

カテゴリー: 梅村庭園 | コメントする

サケをくわえていない熊のお話

やふー!しげちゃんです。
 だいぶ時間があいてしまいましたが、5月2日のイカさまタコさまはご覧いただけましたでしょうか?
八雲の木彫り熊が取り上げられました。
その放映で私がつまってしまっていた「サケをくわえている木彫り熊がなぜ八雲にないのか?サケをくわえている木彫り熊の起源は?」という質問について、少し詳しく書いてみたいと思います。
いやこれホント、明確な起源はわからないので、推測になってしまうんですよね。
新たにわかったことがあれば書き直したいと思いますが、現在の段階での推論を述べてみます。

ミニクマ
函館で買ったミニクマ。小さくても鮭くわえてます。ちい散歩で紹介されたやつだそーで、これでお値段500円。

 なぜサケをくわえた熊は八雲町(の郷土資料館)にないのか?
 サケをくわえた熊は、昭和6年の農民美術研究会のリストに「鮭食い熊」という作品名があるため、木彫り熊制作され始めたころから作られてはいたようです。
ではなぜ八雲ではあまり作られなかったのでしょうか?

この理由は3つ考えられます。

 まずひとつめ。サケをくわえた熊は、不自然な姿になるから。
八雲の熊は日本画家の十倉さんの指導で、日本画的な要素を持った写実的な熊なのが持ち味です。
以前、引間さんにインタビューした記録があるのですが、そこで引間さんは「サケをくわえた熊は不自然なので、頼まれたとき以外は彫りません。」と答えていらっしゃいます。

 ふたつめ。サケ獲ってる熊をあまり見ていないから。
八雲の熊の制作者は、基本的に農民です。熊のデッサンについては徳川農場にあった檻の中の熊を参考にしていました。
そのため、大自然のなかの熊をモチーフにしなかったのではないかと思われます。

 みっつめ。これは八雲で木彫り熊が好きな人によく「八雲の熊は共生してる熊だよ」と言われます。
ふたつめの理由と重なりますが、檻の中の熊を観察するとか、人の社会にいる熊を見ています。
飼ってる熊だからどんどん太っていって、それを参考にしている木彫り熊も太っていったというお話があるぐらい、身近な存在です。
また、擬人化してる熊も多く、熊の学校だったり、楽器を演奏している作品があります。
そういったなかに、サケを荒々しく獲っている熊はなじまなかったのではないか、と思われます。

鮭背負い熊

鮭背負い熊(上村氏作)

 いまのところ考えているのは、この3つの理由です。
これらのうちの1つが正解なのではなく、合わさっているのではないかと思っているのですが、どうなんでしょう。

 では、「サケをくわえた熊の起源は?」「なんで北海道の木彫り熊といえばサケをくわえている熊を思い浮かべるようになったのか?」ですが、ちょっと推測してみましょう。
 まず、サケをくわえた熊の起源については、八雲だと思われます。
 で、木彫り熊といえば、サケをくわえた熊になった理由は、観光ブームだった昭和30~40年の時に、北海道らしい土産を買い求める人たちにとって、北海道を代表するサケと熊が結びついたスタイルが大ウケしたからなのではないか、と思います。
よく売れるから店には並んでるし、道外の人も買っていって持っているしで、北海道の木彫り熊はサケをくわえた熊のイメージが定着したんじゃないでしょうか。

さけ

資料館にある鼻曲がり鮭の剥製

 と、ここまで私見を述べてきました。
八雲の木彫り熊についてもまだまだ勉強が必要ですし、旭川をはじめとした各地の木彫り熊に関しての知識もまだまだ足りないと感じているので、今後いろんなところに行って調べていきたいと思います。
またなにかわかったことがあれば発信していきたいと思っていますが、今回はこの辺で。

きっと次回も木彫り熊ネタ!
よろしくどうぞー。

 

(投稿者:しげちゃん)

カテゴリー: 木彫り熊 | コメントする