サランベ川でカイジュウの化石発見!?

やふー!しげちゃんです。
先日、カイジュウの化石を見学してきたのでご紹介します!?

 八雲在住の写真家、稗田さんより「サランベ川で貝の化石が見える」との連絡をいただき、稗田さんの案内でジョー門氏としんちゃん私で現地へ行ってきました。

サランベ川

 現地では川が地面を削っていて、ところどころ小さい滝ができていました。その浸食によって、瀬棚層といわれる120万年前~60万年前の地層が露出していました。八雲でいくつか見えるポイントのあるこの瀬棚層には、海の貝の化石が多く残されています。残念ながら、アンモナイトや恐竜といった化石はありませんが…。

イタヤガイ科

 この層で見つかる化石は、ダイシャカニシキ、エゾキンチャク、ホタテガイなどのイタヤガイ科の貝、ナミマガシワガイモドキ、カミオボラなどです。特に、ダイシャカニシキは絶滅した貴重な種です。

貝化石

 この場所で化石を採集しようとすると、化石がもろくて壊れやすいので、慎重にやらないといけないことがわかりました。指で触るだけで簡単に砕けます。化石見学はいいけど、採集には向かないなぁ…

 川の反対岸にもあるかもしれない、ということで、ちっちゃい滝の上をジャンプで越えつつ対岸へ

ちっちゃい滝

…崩れるんじゃないかと小心者な私はびくびくしながら飛んでましたけどが。

 で、反対岸でしんちゃんが海棲哺乳類=海獣類(=カイジュウ類)の化石を発見!

海棲哺乳類肋骨

 真ん中が土に埋まってて、両端が地面から顔を出しているのがわかるでしょーか?
この形だと、肋骨だろうなぁ。

拡大

 骨の海綿体の様子から、海獣類=トドとかアザラシとか海牛(マナティなど)とかだとは思うのですが。うーむ、貝以外の化石が見つかるなんて…しかもなかなか大型。
たぶんトドの雄の亜成獣ぐらいはありそうな感じ。

 今回は取り出す道具をもっていないので、写真を撮っておひらきに。
このあとどうなったかは、また次回以降のブログで…

よろしくどーぞ。

(投稿者:しげちゃん)

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榊原のバター飴

 先日、町内の方から榊原のバター飴を寄贈していただきました。冷凍庫の底の方から発見したとかで、未開封でした。パッケージには「賞味期限99.10.5」と記されてありました。

榊原のバター飴

寄贈された榊原のバター飴

 榊原のバター飴は、榊原安茂氏によって昭和6年に製法が発明され、5年後には製法特許を取得しています。2代目を継いだ幹男さんが平成16年7月に他界された後は、その技術を引き継ぐ人もなく、製造されなくなりました。ある本によると、「二代目幹男さんは、職人気質の方であり、工場は気の許す人以外には決して見せない人」だったそうで、まさに一子相伝であったのかもしれません。
 古いバター飴の缶には、”牛酪飴”と書いて”バターあめ”と読んでいたようで、円筒形の缶の表面には「産名海北」とあり、長方形の缶の表面には「北海名産」と違う表記になっており、円筒形の缶が戦前のものと推測されます。

榊原のバター飴缶1

榊原のバター飴の缶2

戦前の物と考えられるバター飴の缶

榊原のバター飴の缶3

榊原のバター飴の缶4

戦後の物と考えられるバター飴の缶

しおり
バター飴のしおり
バター飴に関しては、観光情報ブログでも紹介されています。

投稿者:しんちゃん

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エゾシカ発見

 5月27日に、道道八雲北檜山線沿いの上八雲地区の鉛川寄り(昔トベトマリと言っていたところ)で、雌のエゾシカ3頭を目撃しました。昨年は、11月4日に富咲地区でエゾシカの群れを目撃しました。
 道内では、エゾシカが急増していると言う情報を聞きますが、道南では今まで目撃情報は少なかったように思います。
 資料によると、道南地域は道東部に比べ地形が急峻で、大規模な草地が少ないことなどから、個体数が増える要因が少なかったそうですが、太平洋側は比較的積雪が少ないので増える傾向にあったそうです。
 エゾシカの農林業被害は、牧草、ビート、小麦、ジャガイモ、豆類などの農作物と天然林の樹皮や若齢人工林の枝葉や樹皮だそうです。
 明治初期には、乱獲と豪雪によって個体数が激減した時期もあったそうですが、天敵であったエゾオオカミも絶滅しましたので、増える一方みたいです。何とか人間と共生できる道があればいいのですが。

富咲地区のエゾシカ

 富咲地区のエゾシカ(2011.11.4)

上八雲地区のエゾシカ

 上八雲地区のエゾシカ(2012.5.27)

投稿者:しんちゃん

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木彫り熊6体が寄贈されました!

やふー!しげちゃんです。
土曜日の道新に載ってた木彫り熊関係の話題(熊の前にいる私はオマケ)です。

 この土日、役場の皆さんと札幌まで日ハム対阪神戦見に行ってました。
いやー日ハム連勝してよかったよかった!特に土曜はもう引き分けかーとあきらめていたところで逆転。
個人的には、桧山を抑えたところがターニングポイントだったんじゃないかと思ったりしてるんですが。
あと土曜日の午前中はリアル化石ホリダーやってたんですが、これはまたそのうちネタにしたいと思います。

では本題。
 先日、新たに6体の木彫り熊を寄贈していただきましたのでご紹介します。

寄贈6体

  まぁ写真の通りの6体なんですが。

寄贈して下さった方の祖父が開拓農家として八雲に入植して以来の木彫り熊たちだそうです。
持ってきていただいた資料見て驚きました。

初期の熊?

 特にこの熊。
木彫り熊が作られるようになった初期の頃、大正~昭和の初めに彫られた作品だと思われます。

理由は、
1.スイスから持ってきた這い熊とポージングや大きさが一緒。
2.口の中が赤く塗られている。
3.毛彫りの方法がスイスの木彫り熊に似ている。
4.顔がクリソツ

 今、木彫り熊展示室にて展示されている農民美術研究会作の這い熊は、毛彫りに関しては十倉さんの影響を受けているのがよくわかるのですが、この熊は十倉さんの影響よりもスイスの木彫り熊の毛彫りをマネているように見えます。
作者とかは銘がないので不明です。

 また、もう1体作者不明の熊がいるのですが…これも資料館スタッフ(しんちゃんと、四六館長と、ジョー門氏と、古文書K氏と、私)で意見が分かれています。

 

誰の熊?
この熊は…?

 顔や全体のプロポーションは茂木さんの中期ぐらいの作品によく似ているのですが、毛彫りは加藤さんの毛彫りの特徴がみてとれます。
この細くて繊細な毛彫りは加藤さんの専売特許。
でも加藤さんの資料館にある作品だと顔が小さめになるんですよね。
しかし、この加藤さんの顔が小さめで優しそうな顔つきの作風は、長年木彫りをしてきて辿り着いた加藤さんらしさだと思います。
当然、そこに辿り着くまでには、先人の模倣からはじまっていることでしょう。
なので、まだ加藤さんが加藤さんらしい顔が小さい熊に辿り着く前の、茂木さんに教えていただいていた頃の作品なのではないかと考えられます。

 でも、茂木さんのと考える理由もありまして。
まず目がガラス玉。加藤さん達の代ではガラス玉ではなく違う目を使います。
また、肩の頂点の毛彫りは細いのですが、足の毛彫りは短くなる点。
さらに、加藤さんだと毛彫りに微妙なうねりがあったりするのですが、この作品には見あたらないなど。

  加藤さんの初期の作品があれば、それと比べたりすることもできるのですが、ない以上断定できず、あるものから推論するのみです。
これらの木彫り熊たちは、諸事情により秋ぐらいには展示室に並べることができるのではないかと思います。
貴重な資料を寄贈いただき、ありがとうございました。

 あ、報告し忘れていた気がするのですが、寄託していただいた柴崎さんの熊マスク2点は柴崎コーナーに展示しております。
このハツリ彫りのマスクは珍しいですよ!

また新しく展示したらブログで報告したいと思います。

よろしくどうぞー。

 

(投稿者:しげちゃん)

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梅村庭園のツツジ便り(その2)

 ヨドガワツツジが散り始めて、ヤマツツジやリュウキュウツツジ、ドウダンツツジが咲き始めました。

ヤマツツジのつぼみ ヤマツツジ

ヤマツツジのつぼみ

 ヤマツツジ(ツツジ科)別名アカツツジ

リュウキュウツツジの花1 リュウキュウツツジの花2

 リュウキュウツツジ(ツツジ科)  琉球躑躅

 リュウキュウツツジ2

 リュウキュウツツジの花3  ドウダンツツジ

 リュウキュウツツジ3

ドウダンツツジ(ツツジ科) 灯台躑躅

ベニシダレ(カエデ科)の赤色も映えています

ベニシダレ ベニシダレの葉

ツツジの名前は管理人さんにききました。

投稿者:しんちゃん

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