石見焼の調査

 以前ブログで紹介した、石見焼を研究している島根県の高校教師が7月2日に来町されました。3日前に中標津空港を降り立ち、車で道東~日高~道央と博物館や資料館を巡り、最後に道南を巡り函館空港から飛行機で帰るとのことでした。調査されての感想は、道内の至る所に石見焼が分布しているとの事です。また、開拓時期の早い地域では古いものが、遅い地域には新しい石見焼が分布しているという傾向にあるそうです。北前船による流通の影響が大きいとのことで、最も古い石見焼が確認されたのが、松前町と江差町で、次にニシン漁の盛んだった日本海沿岸、道南の太平洋側、道央部と段々新しくなっていくそうです。八雲町で確認された最も古いものは、明治末~大正期のものだそうです。陸路では壊れる恐れがあるため、内陸部には河川を利用して船で運ばれたそうです。今回の調査で解ったことを、今後まとめて報告するとのことです。ちなみに、生徒等によって「先生のことが八雲町のブログに紹介されているよ」と教えてもらったそうです。

石見焼
石見焼
石見焼の底部にある刻印
石見焼の底部の刻印

投稿者:しんちゃん

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鮭に噛まれた熊…?と、シャチホコの行方

やふー!しげちゃんです。
今日は木彫り熊展示室に置いてある落書き帳とミニあんどん的なお話ですー。

の、前に。
先日の日記であぶり出し的に書いたのの追記。
DEENの47都道府県ツアー、北海道は函館でやったあと札幌での公演なんですが、その移動中に八雲のサービスエリアに寄ったそうで、ボーカルの池森さんが写真つきで風景を絶賛していたのでご紹介ー。
DEEN 47 TOUR Blog
こーやって身近な風景が好きなアーティストに取り上げられると嬉しくなります。

 さて、木彫り熊展示室オープンしたこともあって、郷土資料館は去年と比較して80名ほど入館者が増えています。ご来館ありがとうございます。
これから7月22日の縄文土器作りを皮切りに、いろいろな体験教室的イベントを開催しますので、皆様のご参加をお待ちしております。
 そんな木彫り熊展示室のところに、落書き帳を設置してみました。
自由帳
 木彫り熊展示室に限らず、資料館全体の感想などを自由に書いていただき、おもしろそうな投稿があったらこの場でご紹介しようという試み。先日来てくださった方がイラストを残してくださったので早速披露しようと思います。
イラスト
 展示を解説しているときに、「サケをくわえたクマじゃなく、クマをくわえたサケっていう作品も世の中にはあるそうですよ」とお伝えしたこともあってか、このようなイラストが。
展示室には「クマをくわえたサケ」はありませんが、「ザリガニにはさまれたクマ」なら柴崎さんの作品がありますので、ぜひご覧くださいませ。

 そして資料館にもPRあんどんがきました。
しゃち あんどん
4月に作ったアレはこうやって使われるのですねー!
ちなみに背面や横面の文字は同期のギタリストI君だそーで。聞くところによると、すべてのミニあんどんの文字を担当しているそーで。きちっと枠内に収めつつも枠一杯に書いてうまいなー…さすが※
あ、普段は電気ついてません。ご要望とか団体のお客さんが来るときに限ってつけております。

 そんな山車行列は、もう今週末!
2日目は山車34台、沼田夜高あんどんと砂原権現太鼓を加えて盛大に開催される予定です。
ミサコさんが雨男らしいんで、皆さんでてるてる坊主作っておいてください。Yahoo!によれば曇り時々雨で50%なんで!(3日18時50分現在

では山車の会議に行ってきます。
よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)

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梅村庭園初夏の花(その2)

 猛暑が予感される暑さで、初夏の花々の移り変わりが早いような気がします。開花が終わった花もありますが、紹介します。

ボケ エゾノコリンゴ

ボケ(木瓜)バラ科

エゾノコリンゴ(蝦夷小林檎)バラ科 別名マンシュウズミ

  木瓜は中国原産で、実が瓜の様な形をしていることから「木瓜」と呼ばれるようになったという説があります。蝦夷小林檎は、ズミと非常に似ているので、ズミの可能性もあります。

オダマキ キショウブ

オダマキ(苧環)キンポウゲ科

キショウブ(黄菖蒲)アヤメ科

  オダマキは、苧(お)と言う繊維を中を空洞にして丸く巻き付けた(おだま)に似ていることから名前が付けられたとか。キショウブは、湿地に生えています。生態系に与える影響や侵略性が高いことから「要注意外来生物」に指定されているそうです。

サラサドウダン ヤエヤマブキ

サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅)ツツジ科

ヤエヤマブキ(八重山吹)バラ科

 サラサドウダンツツジは、ドウダンツツジより開花が半月遅いそうです。花の色が更紗模様に、形が灯台に似ていることから名付けられたとか。ヤエヤマブキは、やまぶき色と呼ばれる鮮やかな黄色が特徴です。(花の名前は管理人さんにアドバイスを受けました。)

投稿者:しんちゃん

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熊嶺の里へ

 先日、町外の方から、八雲で熊嶺小中学校の同窓会があるので、ついでに熊嶺の学校があった場所に車で行きたいが、行けるだろうかと言う電話がありました。自分が10年以上前に行った時は、途中の道路が崩落して徒歩で現地に行った記憶があるので、そのことを伝えました。後日、実際に車で行ってみると、樹木の伐採作業が行われており、その為か道路が整備され、熊嶺小中学校跡まで行くことが出来ましたので、その事を伝えると大変喜ばれました。
 熊嶺地区は、昭和21年に戦後の緊急開拓により、大新の奥、サランベ川沿いの国有地を開放して、15戸が入植したのが開拓のはじまりです。八雲市街地から12km余り入った所で、はじめは電気、電話、水道もなかったところです。
 学校は、昭和24年7月に「八雲小学校熊嶺分校」が開校したのがはじまりで、その後「大新小学校熊嶺分校」となりました。昭和27年には「熊嶺小学校」に昇格し、同年11月に「熊嶺中学校」の設立が認可され「熊嶺小中学校」と言う併設校となります。もっとも児童・生徒数が多かった年は、小学校で昭和32・33年に21名、中学校で28年に11名であったそうです。昭和40年代にはいると、山間辺地の離農者が続出し、昭和47年11月に熊嶺で最後の家族が離農し、集落の人口が零になり、同年12月1日に統合による廃校式が行われたそうです。

熊嶺に向かう道路
熊嶺に向かう道路(途中から砂利道になる)
石橋を渡る
細い石橋を慎重に渡る
クリンソウ
道路左側に可憐なクリンソウが咲いていた
砂利道を進むと
さらに砂利道を進むと
道路右側の廃屋
道路右側に廃屋が見える
樹木が伐採されている
忽然と樹木の伐採作業が行われている場所が現れる
丁字路を左に折れると熊嶺地区
丁字路を左に折れると熊嶺地区(右に折れると乙部方面へ)

熊嶺小中学校の校門跡

 
 以前は、門柱とその横にコンクリート製の熊がそのままの状態で残っていましたが、今回見ると、門柱は崩れ熊は横倒しの状態にありました。廃校記念碑を確認するために笹藪を漕ぎながら探しましたが、今回は確認することは出来ませんでした。

投稿者:しんちゃん

 

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遊楽部川の自然9 コヨシキリ

 ユーラップ川の河口は、長い年月の間に土砂が堆積したのか、今では歩いて渡れるほど浅くなっている。寛政3年6月に訪れた菅江真澄は「はかりしれぬほど深い川岸についた」と書いており、また明治11年に訪れたイギリス人女性イザベラ・バードもまた「やがてユーラップ川に来た。広く深い水流で・・・」と表現している。

 30年前頃には、川底に礫が積み重なり、カジカやモクズガニを容易に見つけることが出来た。今では、礫と礫の間に隙間がなくなり、見かけることは出来なくなってしまった。

 河口域は昔と変わったが、それでも色々な鳥がやって来る。今、河口域の野原を忙しく飛び回り、しゃべくり続けているのは「コヨシキリ」、スズメよりも小さく、どこでも見ることが出来る夏鳥だが、よくよく見るとユニークで愛くるしい顔をし、口を大きく開けさえずると、口の中が黄色いのが分かる。

                                                 コヨシキリ 夏鳥 

さえずるコヨシキリ

黄色い口の中が見えるほど、口をあけさえずる。

コヨシキリ
イタドリに、しっかりと茎を掴みとまる。


正面を向いた顔は、どこか面白い。

 投稿者:ジョウモン 

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