うちのカメ(マグロ編)

 うちのカメに1年ぶりに大好物のマグロを与えると、すごい勢いで食べている最中に、喉につまらせて全部水の中に吐いてしまいました。ほんとにホイトなんだからと思いました。その後、吐いたマグロをまた美味しそうに食べていたので少し哀れにも感じました。

 「ほいと」で思い出したのですが、八雲に来て始めて自分の耳で聞き覚えた言葉について書きます。「からっぽのやみ」「したっけ」「ほんずけない」「ごんぼほる」「こったらもの」「もさっと」「のっこり」「ばんきり」「はっちゃき」などです。今では何となく意味がわかりますが、初めは何を言っているのかさっぱり解りませんでした。たまに自分でも使ってみると全然違うと笑われたものでした。最近は余りこの様な方言が聞かれなくなった様な気がします。方言は地域の歴史であり、文化でもありますので、大切に次の世代にも伝えていきたいですね。
 ちなみに、『北国くまいし おもしろ言葉(方言集)』によると、「ほいど」は、いやしいこと。「からっほねやみ」は、仕事をしない人のこと。「したっけ」は、そうしたらの意味。「ほんつけなし」は、ボーットしている人のこと。「ごんぼほる」は、だだをこねること。「こったらもの」は、こんなものと言う意味。「もさっと」は、ぼんやりしていること。「のっこり」は、沢山という意味。「ばんきり」は、ひっきりなしと言うこと。「はっちゃぎ」は、一生懸命のことだそうです。また、ある人が「タクランケ、この」と言っていたので、「タクランケってなんですか」と聞くと「タクランケはタクランケだろが」と答えともつかない答えが返ってきて、自分がタクランケとしかられたような気がしました。

北国くまいし おもしろ言葉(方言集)

北国くまいし おもしろ言葉(方言集)

投稿者:しんちゃん

 

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遊楽部川の自然4 遊楽部岳の山容は?

 遊楽部川の語源は、アイヌ語のユ・ラン・ペツ(温泉から下る川)又はユーラプ(温泉の下る川)に由来すると言われています。この遊楽部川の上流に、川の名が語源となったと考えられる町で最も高い山、遊楽部岳(見市岳)があります。八雲高等学校の校歌に「八雲たつ 山脈遠く遊楽部 峰はさやけし 」と歌われているのですから、市街地から見えるはずなのですが………。

 遊楽部岳が位置する市街地から見た西側の山並みは、太櫓岳(1053m)、臼別岳(1251.4m)、遊楽部岳(1275.2m)、前岳(1174m)、白水岳(1136m)、中白水岳(1124m)、南白水岳(1122m)、白泉岳(1043m)、冷水岳(1175m)、奥冷水岳(1144m)、屏風岳(938m)、ペンケ岳(855.6m)と1000m前後の山が沢山有り、どの峰が遊楽部岳なのか、特定するのちょっと難しいです。

 西側の山並みは、見る所によって、山の重なりから、見える山と見えない山が有ります。
 そこで、カシミール3Dで、遊楽部川河口から遊楽部岳、そして遊楽部川の源である太櫓岳がどの位置に見えるのかシュミレーションして見ました。
 市街地から見る遊楽部岳の峰は円錐形状のように見えますが、実は頂上は平らで東西に約850mと長く、臼別岳から見ると、オオワシが羽を広げたような山容をしています。
 勿論、この高い頂上付近にもエゾヒグマの生息域、クマの落とし物が沢山あります。

遊楽部岳の絵図
北から南に向かって、川の源である太櫓岳、臼別岳、遊楽部岳、ペンケ岳、奥冷水岳、屏風岳の順に見える。

臼別岳から見た遊楽部岳
臼別岳から見た遊楽部岳。頂上は平らで、三角点は平坦な左側の端の方に位置している。

クマの落とし物 大きいクマの落とし物写真

遊楽部岳のエゾヒグマ生息の痕跡。左は太さ1.5センチ程の落とし物。右は何と直径4センチ程もあると思われる非常に大きな落とし物。はじめ練炭の風化したものと思ったほど、大きいです。落とし主は?メートルのクマ。   

(投稿者:ジョー門)

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遊樂部川の鼻曲がり鮭

 郷土資料館に展示している鮭の剥製に関する新聞記事を発見しました。昭和53年1月の北海道新聞で、昨年末に水産庁さけ・ますふ化場渡島支場で、遊樂部川に遡上した鮭をふ化事業用に捕獲していたところ、体長約1m、体重12kgもある雄の5年漁で標準の鮭3匹分もある大きなものを捕獲したとのこと。剥製にして町に寄贈され、5月にオープン予定の郷土資料館に展示予定という記事でした。また同支場によると、本年度(昭和53年度)は秋から冬にかけて遊樂部川には史上最高の鮭の大群が回帰し、同支場と八雲漁協では4万匹近い親魚を捕獲したとのことです。
 遊樂部川の鼻曲がり鮭は、江戸時代の文献にも記述があるとのことですが、乱獲による資源の減少を危惧した開拓使函館支庁が、明治13年に徳川家開墾試験場に鮭の天然種育蕃殖事業を委嘱し、新潟県の三面川(みおもてがわ)の天然ふ化の方法にならい、ふ化事業を行ったのが、八雲での鮭ふ化事業の始まりとされています。
 ちなみに、鼻曲がりとは、鮭の雄が川を遡上するとき鼻先が伸びて先端が下に曲がる生理的変態だそうで、海水から真水に入るときになるそうです。
 また、明治22年に徳川家の開拓移住人の自治基本法とも言える「八雲邨徳川開墾地郷約」が制定され、その第2章第6条に「移住人徳川侯ニ対スル義務」で、毎年徳川家に豆と鮭を献上することが義務づけられていました。戦後は、「献上豆」・「献上鮭」の献上という言葉が贈呈と代わり、現在でもその伝統は続いているそうです。

遊樂部川の鼻曲がり鮭
遊樂部川の鼻曲がり鮭の剥製

投稿者:しんちゃん

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渡島半島ぐるり一周エクスカーション

やふー!しげちゃんです。
今日は代休を利用して、渡島半島を一周してきました。
というか、松前半島は行ったけど亀田半島は行ってないから、正確には2/3周ですかね?

 渡島半島南部の地理に強い(はず)のFMさんと7時30分に八雲出て、帰ってきたのは20時30分ぐらい。
松前町の発掘現場に教育委員会、知内町の資料館、北海道埋蔵文化財センターが発掘している木古内町の大平4遺跡と、同じく道埋文の福島町の館崎遺跡と北斗市の押上1遺跡の整理事務所とお邪魔させていただきながらの珍道中でした。
お邪魔させていただきました皆様方、案内してくれたFMさん、ありがとうございました。
あ、「珍」が付くのは、道南に強い(はず)のナビ役が、いろいろ間違えてたからです。八雲町内から既に道とか…残念!

 それはさておき、亀田半島の汐首岬は以前行ったことあったのですが、道内最南端である松前半島の白神岬は初めてでした。

最南端

パーキングエリアがあったので車止めて、海岸へ。

汐首岬

 このへんでは約2億年前に作られた松前層群という地層を観察できます。
せっかくなので海岸へ降りて観察をしてチャート採集してきました。ちょっとした欠片ですが。その辺は石が専門なFMさんに教えて頂きつつ。
この岬周り、いろいろと地層が顔出しているので、見て回ると面白そうですが、今回は時間がなかったのでカットしました。

 で、木古内町の現場で、函館江差自動車道と北海道新幹線が交差する場所があったのですが…これは良いカットだ!と勢い込んで写真撮ったんですが、失敗しててガックリきてます…。
ぬあー…慌ただしく撮るんじゃなかった…。

 ちなみに札幌延伸の決まった北海道新幹線、八雲町内を通りますが、現在発表されている路線予定図ですと、当該地に周知の遺跡はないようです。
正式に経路が決まったら、本当に遺跡があるかどうかの確認調査(踏査)が始まると思いますが…それはまだ未来のお話です。
 何かを建設するから発掘調査…とはいうものの、実際には、掘らずにそのままにしておけるなら、それが遺跡にとっては最高の保護だと思っています。
発掘調査は、理由があって、どうしても壊さざるをえないから、せめてきちんと調査して記録して資料として後世に残す、というのが基本だと思っています。

 そうそう、今年4月に八雲町に来てから、道の駅のスタンプラリーに再度挑戦してます。
実は2009年の学生時代、北海道に発掘調査に来たときにも挑戦したんですが、そのときは一夏で40ぐらい集めました(大雑把に、苫小牧→根室(発掘)→網走→旭川→稚内→利尻島(発掘)→札幌→苫小牧という発掘調査2回を含んだ約2ヶ月の旅。スタンプ捺印時間に制限があるのが最大のネックであり、計画の立てごたえがあります)。
 とりあえず1年でどれくらい集められるかと、この本に載ってる全部のスタンプを集めるのに挑戦中です。
今日6個集まって、現在33個。
今年のスタンプ帳では全部で114個なので、まだ1/3にも到達してませんが…ま、気長にやろうと思ってます。

よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)

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赤彩注口土器のこと

 赤彩注口土器は、平成12・13年度に行われた、北海道縦貫自動車道路建設工事に伴う発掘調査によって、八雲町野田生1遺跡から出土しました。(財)北海道埋蔵文化財センターによる調査で、縄文時代後期の住居跡から、一緒に出土した深鉢土器とともに、平成19年度に北海道有形文化財に指定されました。
 土器は、ほぼ完形なダルマ形で、底部は丸くなっています。当初は、注ぎ口と突起が欠落していましたが、近くから発見され、結合部分にアスファルトが付着していることから、補修がされたものと考えられています。
 土器の表面には、底部を除いてほぼ全面に彩色が施されています。赤色は水銀朱で、器面全体を丁寧に磨いた後に黒漆を塗ってから、水銀朱が塗られたとのことです。
 器形や文様から、東北地方から搬入された新地式土器と考えられ、一緒に出土した深鉢形土器に付着した炭化物の年代は、3630±40y.BPとなっています。

赤彩注口土器

赤彩注口土器

 

リーフレット表 リーフレット裏

 リーフレット表

 リーフレット裏

 今度、滋賀県のMIHO MUSEUMの秋季特別展「土偶・コスモス」(9.1~12.9)で、展示されることになっております。担当者によると、土偶や土器を考古学資料としてではなく、美術品という観点から展示するそうです。

投稿者:しんちゃん

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