バターチャーンのこと

 郷土資料館の展示物で、結構人気のあるものにバターチャーンがあります。同じようなものが、札幌市の雪印乳業史料館にもあるそうで「手回し縦型チャーン」と呼ばれています。北海道でバターを作り始めた頃に使われた道具です。
 太田正治氏など、北海道の酪農を築いた人々を紹介している『酪農語録』という本の裏表紙にバターチャーンの写真が載っています。「北海道製酪販売組合の技師だった佐藤貢が初めてバターを作ったバターチャーン(雪印乳業所蔵)」と言う説明文が書かれていました。佐藤貢は、1925(大正14年)に、「北海道製酪販売組合」(雪印乳業の前身)の設立と同時に技師に招かれバター製造を始めたそうです。手回し縦型チャーンで1回に13.5キロのバターを作ったそうです。翌15年3月に組織を変更して「北海道製酪販売聯合会」(略称:酪聯)として、全道的組織に発展していくそうです。八雲町では、昭和7年に酪聯の八雲出張所が設けられ、バター製造が開始されたとのことです。ちなみに八雲では、明治40年にはバター製造が始められたそうです。

雪印乳業のバターチャーン

『酪農語録』に載っている雪印乳業のバターチャーン 

郷土資料館のバターチャーン

郷土資料館にあるバターチャーン

投稿者:しんちゃん

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ちょっとおいしい梅村庭園のお話

やふー!しげちゃんです。
月例梅村庭園ネタの時間がやってまいりました。

今回ご紹介するちょっとおいしい話は、梅村庭園になっているすもも。

すもも

管理人さんが剪定ついでに選定してもいでくれたので、いただきました。

すもも

皮付近はすっぱいものの、中は甘くて美味しかったです。ごちそうさまでした。

実がついているといえば、ボケも最近実ってきています。

ボケ
ボケは木瓜と書きます。

なにやらググって見るとジャムやらお酒やらにするそーで。

さて、先日しんちゃんが書いていました、サギの被害の話
テグス張って様子を見ていたら、しばらくの間飛来している様子はなかったんですが、敵もさるもの、ちょっと経ったらテグスの張っていない岸辺から歩いて進入していました。

サギの足跡

被害があったかどうかは不明なんですが、このサギどーしたもんですかね…一度えさ場を覚えると何度もくるそうですし…
人がいれば直ぐ逃げるんですが、24時間張り付く訳にもいきませんしね…
誰か良い案教えてください!

よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)

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謎の青龍刀形石器

 先日、弘前大学で考古学を専攻されている準教授の方が、青龍刀形石器の機能と用途の調査研究のために来館されました。石器を観察し、メモを取ったり、写真を写したりと熱心に作業をされていたので、「どうですか」と問いかけると、「素晴らしい作りですね、感激しました」という答えが返ってきました。石器を見て感激するとは、さすが考古学を専攻されている方だと、一人納得しました。
 青龍刀形石器とは、江戸時代に木内石亭が『雲根志』の中で、中国の青龍刀に類似すると紹介したことにより命名されたもので、縄文時代中期から後期初頭の北海道南部から東北地方北部の遺跡から発見される石器です。用途は不明ですが、祭礼用具ではないかという説があります。木内石亭は、平賀源内とも交流のあった奇石収集家で、考古学の先駆者とも言われた人物で、『雲根志』という書物は、鉱物や化石などを分類し解説を加えた本だそうです。青龍刀とは、中国の太刀の一種で、刃部に青龍が描かれていることによって命名されたそうです。
 

青龍刀形石器

展示室にある青龍刀形石器

 

投稿者:しんちゃん

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遊楽部川の自然 5 さりゆく夏の鳥

 連日暑い日が続いていますが、日は短くなり、草木はもう秋の気配を漂わせています。遊楽部川河口部の草原にも、ススキが穂を出し夏鳥たちの鳴く声も、段々少なくなってきています。

 明治11年、徳川家開墾地に移住した兄、平川勇記(通称釜三郎)を訪ねて、明治18年4月12日熊張村(現長久手町)より来た戸田四郎は、徳川家開墾地に長期間滞在し、滞在中の出来事を『北海道往復旅行日記』に記載しています.

  日記には、立岩に登り、そこから見た遊楽部川とそこに広がる開墾地の風景や山・海岸など、他の記録と違って自然についても書かれています。鳥についての記述は、日記の明治18年4月15・16日に「この頃小鳥各種深山より家辺にへ来る」、6月1日「この頃、ムク、雀、ワシ、鳥その他巣を結ぶ」と書いています。つまり、春には鳥が里(平地)に来て、初夏にはこれらの鳥が繁殖のため巣を作くると書いているのです。

  当たり前のことですが、この事は今でも変わりなく見られる光景です。ただ、四郎が「山より家辺と」と表現したのは、春になると色々な鳥たちが急激に平地で見られるようになるので、山から鳥たちが来たと考えたのでしょう。秋から冬にかけて、山から平地に下りてくるウソなどの鳥はいますが、春は、繁殖のために他地域から渡ってくる鳥が多く、この事を現しているのだと思います。

 遊楽部川河口の原にも、夏鳥が渡って来て、巣を作り子を育てます。8月末から9月になると、繁殖のおえた夏鳥は、子を連れ渡ってきた地域に戻り始め、夏鳥がだんだんと少なくなっていきます。10月に入ると、ハクチョウ、カモ類が、11月頃にはオオワシ、オジロワシが遙か遠くサハリンから来て、遊楽部川の鳥も夏鳥から冬鳥へと主役が変わることになります。

コヨシキリの写真

 コヨシキリ(成鳥)スズメより小さく、繁殖期にはよくさえずる。

ノビタキの♂の写真

 ノビタキ(雄 成鳥)スズメより小さく、草原によく見られる。

ノビタキ♀の写真

ノビタキ(雌 成鳥)スズメより小さく、草原によく見られる。

カワセミの写真

 カワセミ (雄 幼鳥) スズメほどの大きさで、河口域でよく見かけるが飛ぶのは早い。

オオルリの写真

 オオルリ(雄 成鳥)スズメより少し大きく、渓流沿に見られる。

(投稿者:ジョー問)

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まちづくりセミナーの記録的電脳日記

やふー、しげちゃんです。
だーいぶ時間は経ってしまいましたが、7月17日に「交流人口の拡大による新しいまちづくりセミナー」が開催されました。
まちづくりについて、八雲を盛り上げることについて、郷土資料館として何ができるか勉強したいと思って参加したのですが、とてもいいお話が聴けました。今回は、その基調講演についてザックリまとめたものをご紹介したいと思います。
講演してくださったのは、坂元英俊氏(阿蘇地域振興デザインセンター事務局長)です。

討論会
討論会風景

基調講演「北海道新幹線開業を見据えた八雲町の滞在型観光と地域づくり-2市7町村による広域連携でのツーリズム展開(阿蘇ゆるっと博)を例として-」

 新幹線が通るから、高速道路が通るから人が来るのではなく、町が準備しているから人が来る。まちづくりは、新幹線や高速道路が出来る前からしなければならない。
 何か目玉となるものを用意して人を呼ぶのではなく、町のいいところを説明できる人を育てて、観光客を案内し、説明することが重要。案内する人が、町の自慢を、その理由を含めて3つ以上言えることが重要で、身近にある自分たちの好きなところを町民が具体的に語ることが、その町・商店街の魅力になる。
 人が滞在してくれる居心地の良い商店街作りが必要。
阿蘇の場合は、木を山から持ってきて植えて、木陰をつくり、その下にわき水があって人が集えるようにしたり、食べ歩きができるようにして、店の目玉となる食べ物などは立て看板を置いて宣伝する。商店街などのマップを作るのは当然だが、それにプラスしてモデルコースをつくって、この順番でこうやって歩くと楽しいですよとアピールすることが必要。
 また阿蘇の情報物産館には、コンシェルジュという、観光客が希望を伝えるとそれに合った旅行のプランを作成してくれる人を配置し、旅を手助けする。
そして実際に現地では、住んでいる人が観光案内をする。そのとき、日常に根ざした自分の好きなエピソード(牧場のこの柵から見える景色が好きなど)を話せることが重要。それに観光客が共感して、ファンとなり、何度も足を運んでくれる&ソーシャルツールで情報発信をしてくれる。
 まず地域を開発することがあり、さらに人間性を開発することがあった上で、経済の向上がある。
 地域の魅力はなにか。それを発見し、伝える人を増やし、商店街を整備していけば、来る人も増えていく。

といったものでした。

 実は、今回の記事は、更新する時機を逸したりなんだりでお蔵入りになりそうなネタでした。
 しかし、先日商工観光労政課より、【地域づくり総合交付金(地域再生加速事業)に『交流人口の拡大による新しいまちづくりプロジェクト』が採択されました】という更新があったので、この流れに乗るしかない!ここで出しそびれたら完全にお蔵入りだ!と思って更新させていただきました。

 さて、このセミナーは基調講演の後、パネリスト達による討論会が開催されました。
そちらについては割愛しますが、一点だけ、坂元先生の「八雲という地名は、難しい地名が多い北海道にあって、本州の人に覚えてもらいやすい名前です」というのがちょっと目から鱗というか、そういう考え方もあるのかと思ったのでご紹介して今回〆
よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)

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