梅村庭園 いま紅葉が見ごろ

梅村庭園 いま紅葉が見ごろ
 秋も深まり、いよいよ冬がやってきます。この季節、遊楽部川の河口には、毎年遠くから渡ってくるオオハクチョウも今月の初めに遣って来ました。梅村庭園の木々も葉が落ち始め、冬への備えを始めています。その中で、ここぞとばかりに真っ赤に色づいているのがもみじです。
 池に映る真っ赤なもみじ、枯山水を彩る赤、梅村庭園のもみじは今が見ごろです。外ばかりではありません。梅雲亭の離れから見るもみじも一枚の絵のようで、見ごろです。庭園は、この赤が終われば、白に彩られた庭に衣更えします。

太鼓橋と紅葉の写真

太鼓橋と紅葉
枯山水と紅葉
枯山水と紅葉
離れと紅葉
池に映る紅葉
離れからの紅葉写真
離れからの紅葉

(投稿者:ジョー門)

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梅村庭園のポポー

 庭園の入口を入ってすぐ右側にポポーの木があります。(10月末に撮影)

ぽぽーの木と果実

 管理人さんの話によると、良くこの木について質問されるそうです。
  ポポーは、北米原産のバイレンシイ科の落葉高木で、果実は食用となるそうです。

熟するのを待っているポポーの実

 果実は熟すると自然に落果し、陽の当たる場所に数日置いておくと、香りが強くなり、食べ頃になるそうです。

ポポーの実

 庭園で見られるポポーの実は、直径が10cm以下のものが多く、甘い香りがして食べるとほんのりとした甘さがありました。(まだ、完熟してませんでした)

ポポーの実の中身

 完熟するとバニラ風味の熱帯果実のような香りがして、果肉はクリーミーだそうです。実の中には、1cm位の黒い種が入っていました。
 明治期に食用として移入され全国で栽培されていたそうです。

投稿者:しんちゃん

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梅村庭園の鴨

 庭園の池には、ときどき鴨が姿を現します。どこから来てどこに行ってしまうのが定かではありませんが、つがいであったり、母親が子どもを連れて現れたりと色々です。10月には、つがいの鴨が飛来してきましたが、オスは警戒心が強く、人の姿を見てメスを残してどこかに行ってしまいました。

冬の鴨(3月31日)  冬の鴨(3月31日)

 冬の鴨のつがい(3月31日撮影)

 冬の鴨のつがい(3月31日撮影)

 鴨の親子(6月2日)  鴨の親子(6月21日)

 鴨の親子(6月2日撮影)

 鴨の親子(6月21日撮影)

 秋の鴨(10月12日)  秋の鴨(10月21日)

 秋の鴨(10月12日撮影)

 秋の鴨(10月21日撮影)

投稿者:しんちゃん

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波の花舞う日本海と、色づく秋の山々

やふー!しげちゃんです。
 出張で上ノ国町へ行ってきたのですが、江差から上ノ国の日本海岸の風の強さに驚きました。
背の高い軽で行ったせいか、あおられて、右にカーブしているのに何故かハンドルは少しだけ左に切っているとか、どんだけー。
あと波の花と思われる、白い泡が飛んでました。話には聞いてたけど、これかぁ。

 とまー、ちょっと怖い思いしつつ、「道南ブロック博物館施設等連絡協議会」の総会および研修会に参加してきました。
この協議会では、ブログも更新していますので、よろしければご覧下さい。
加盟している施設の中の人が展示情報など載せてます(八雲町郷土資料館の最新記事はどっかで読んだことあるとか言っちゃダメです)。

 で、研修会は、上ノ国町にある上ノ国館跡(花沢館、洲崎館、勝山館の三館をまとめた呼び方。どれも国指定史跡です)と、その周辺の寺社や歴史的な遺産をどうやっていろんな人に見てもらうか、観光ルートづくりについて、実際に歩いて見て、意見交換をするという内容でした。
このところ、八雲町でもいろいろ検討している内容だったので、様々な意見が聞けて勉強になりました。
やはり、どこに歴史的遺産があるか表示する案内板は重要ですね。

夷王山
勝山館ガイダンス施設そばの夷王山からは、館も、江差方面の湾も松前方面の湾も望めました。

 さて、急激に寒くなってきている今日この頃。紅葉が見頃です。
今回、落部から厚沢部ぬけて日本海側へといったわけですが、葉がかなり黄や赤に色づいていました。

紅葉

 北海道の秋は短く、すぐ紅葉終わってしまうそうなので、山の方へ行ってみるのもいいかもしれません。

よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)

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弁開凧次郎家使用品

 上ノ国町の旧笹浪家住宅(重要文化財)横にある、嘉永元年築造の「米・文庫藏」で、「平成22年度 笹浪家企画展 蠣崎氏と松前氏」(10.16~11.14)が開催されていました。その中に「松前町教育委員会所蔵(村岡チヤ氏寄贈品)」として、弁開凧次郎家使用品の天目台3点、イクパスイ2点、角盥1点が展示してありました。
 参考に、展示プレートの文章を紹介します。
 「弁開凧次郎さんとは?」蝦夷地落部出身で、アイヌ名をイカシバという。明治~大正時代の家畜商。明治35年(1902)、青森県八甲田山で陸軍の兵隊210人が猛吹雪にあい、このうち199人が死亡するという事件の際には、9人のアイヌが救助に向かい、弁開氏が隊長を務めた。また、馬など動物の治療にも精通し、地域の人々に大変したしまれたという。
 「角盥(つのたらい)」本来は和人のお歯黒道具や洗面道具のひとつであるが、アイヌの人々は、儀礼の際に供物などを入れる容器としても用いた。
 「イクパスイ」儀礼用具のひとつで、酒を神に捧げるときに使う木べら。イクパスイは、人間の言葉の足りない部分を補い、誤りを訂正し、雄弁に神に祈りを伝えてくれるといわれる。展示品は、シャチやクマなどが彫られている。
 「天目台(てんもくだい)」もともと日本の茶道では天目台に陶磁器の茶碗が載せられたが、アイヌは漆塗りの椀を載せるという独特の使い方をした。天目台と漆器のセットを一客としたものをトキといった。儀礼の際には漆塗りの膳に四客のトキを置き、それぞれにイクパスイを載せる。

旧笹浪家の米・文庫藏
旧笹浪家の米・文庫藏

 

弁開凧次郎家使用品
弁開凧次郎家使用品

 

投稿者:しんちゃん

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