廃校記念碑の調査

 降雪前で天候にも恵まれたことから、11月14日に富咲(とみさき)小学校廃校記念碑の所在調査を行いました。富咲小学校は、昭和31年に「大関小学校富咲分校」として富咲88番地に開校し、昭和42年には昇格して「富咲小学校」となりましたが、この頃より山間部における離農が始まり、昭和47年には児童数が3名となり、今後増加する見通しもないことから廃校となりました。
 富咲地区で、笹藪をこぎ分けてやっと碑を発見することが出来ました。車で現地に行く途中、複数のキタキツネとエゾシカの群れにも遇いました。車をおりるとタヌキの「ため糞(ふん)」を踏みそうになりました。帰りの道では、国の特別天然記念物のオオワシが、春日地区の道道八雲北檜山線沿いで確認することが出来ました。
 八雲地区には現在廃校記念碑が19基あり、建立年の最も古いのが昭和49年の「富咲小学校」、「熊嶺(くまね)小・中学校」、「八線(はっせん)小学校」のものです。学校の大まかな位置関係は、昭和52年発行の「広報八雲教育」に掲載されている「八雲町学校鳥瞰図」を参照して下さい。

廃校記念碑発見
こんな笹藪に碑がありました
富咲小学校廃校記念碑
富咲小学校廃校記念碑
富咲地区でのエゾシカの群れ
富咲地区でのエゾシカの群れ
タヌキのため糞
タヌキのため糞
ここら辺に碑がありました
ここら辺に碑がありました。

投稿者:しんちゃん

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ここほれ!しげちゃんの歩き方

ぎゃふん!しげちゃんです。
決めてた自分ルールが破れてしまったので、今回は私のブログに対するスタイルをネタバレしたいと思います。
 ここのところ、諸事情によりしばらく更新できませんning。
目に映るモノがほとんど目新しくてネタにしやすい初年度は週1更新をしようと決めて書いてきましたが、アクシデントには勝てず…
また通常営業できるようになったら、週1更新していきたいと思います。
おそらく来月からになるんじゃないかなーと。
そのころにはもっと雪が積もってるんでしょうね>蝦夷富士

蝦夷富士

さてタイトル通り、今回はブログ書くときに心がけているというか、ざっくり決めてる自分ルールでも書いてみようと思います。このへん踏まえて読むとおもしろくなるかもしれません。
やふー!の意味わからないとツッコミもらってしまいましたし。

 まずやふー!なんですけど、単純になんか書き出しが欲しかっただけです。キャッチーなアレとゆーかなんとゆーか。
最初は「どーも」あたりにしようと思ってましたが、もうそれは類似品が利用されていたので却下。
で、自分が久しぶりにメール出す友人には、「やほー、元気?」辺りから始めることが多いので、「やほー」にしようかなと思ったんですが、そこはひねって「やふー!」に。
まだあんまりYahoo!が有名じゃなかった頃、ヤホーと読む後輩がいたって辺りを踏んでます(そんな事情わからすか
 「もし○○が八雲市街地の位置にあったら…?」で、「ゴーグル、しげちゃんです」とやったのは、メインとなるネタがgoogle mapだからですね。
何でゴーグルかってのは、googleがまだそんなに有名じゃなかったころゴーグルって読むんだって言ってた先輩がいたからです。検索だからゴーグルで間違いない、と。普通に「グーグル!しげちゃんです」て始めるのもなーってことでひねりました。
といった、たぶん誰にもわかんないだろうネタを脇道に仕込むのが好きです。
 脇道的内容の最たるモノは、あぶり出しでしょうね。
あぶりだし。←こういう、なんか変なところに「。」があるなど、不自然な空白は、読まなくても本筋に影響はないけど範囲選択=ドラッグしてみるとなんかネタがありますよってサインだったり。
基本的に読んでもらわないと悲しいので、分かりやすくサイン出してます。

 で、本筋というか、書く内容はできるだけ簡単にすることと、ライトなノリで書くことを心がけています。
ガチガチに硬い文章だと、ただでさえ長文になりやすくて読まれにくいのに、さらに読者が減るだろうなと思っているからです。
と、自分がブログ読むならこういった書き方のが好きだからなのと、この文体のほうが自分としても書きやすいってのもありますけどが。
 あとネタを仕込みやすいからですかね。言葉遊びがしやすいというか。
今回冒頭の「できませning」も、10月末から今まで更新できなかったのと、まだしばらくは更新できませんよって意味でing=現在進行形。
語尾が「ん」だから「n」で終わるから重ねとくかってことで「ning」。
こーいった遊びにニヤリとする人はどーぞ。

 あと構成としては
書き出し…やふー!ではじまり一行で今回のネタを説明した後、あれば近況的な枕とか。DEENがパノラマパーク来てそれをブログに書いてた!とかうんだらかんだら。
本文的内容…だいたいタイトルに即した内容にしてるつもりです。
〆…まとめ的な一言かいてよろしくどーぞ。
となってます。
 困るのがタイトルで、なかなか思いつかないんですよねー。会心の出来が「サランベ川でカイジュウの化石発見!?」だと思ってます。
ダブルミーニングでミスリード誘ってオチをつけるのはなかなかうまくいきません。

 最後に、〆に使ってる「よろしくどーぞ」は、ハムから来てます。
ハムって言ってもアマチュア無線の方です。
愛知でボーイスカウトやってたとき、指導者の方々が通信やってるときに相手にマイク渡すときに使う言葉が「よろしくどーぞ」で、自分も免許とってクラブ局で運用してたときこのフレーズ使ってたことからきてます。

 と、こんなことを心に留めつつブログ更新してます。今回はかなりネタなので、文体もいつも異常に砕けまくりですが…たまにはいいですよね。
基本ゆるマジメ系!なんだそれ。
ではまた写真の風景が見える場所に戻るとします。
よろしくどーぞ。

やっぱり一度は「説明しよう!」って言いたい 投稿者:しげちゃん)

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秘境駅へ行こう

 牛山隆信氏の著書に『秘境駅へ行こう!』と言うのがあります。「秘境駅」とは、牛山氏とその仲間の造語で、たどり着く道もなく、したがって乗降客もほとんど皆無にもかかわらず、それでもひっそりと、そして逞しく存在する駅のことだそうです。その本の後ろの方に「全国秘境駅ランキング(2001年6月現在)」があり、1位が室蘭本線の小幌駅、2位が函館本線の張碓駅になっていました。
 牛山氏のウェブサイト「秘境駅へ行こう!」のランキング(2011/5/25現在)では、新にJR「鷲ノ巣駅」が、37位にランキングされていました。
 鷲ノ巣駅には駅舎がなく「待合所」と言う建物があり、トイレも完備され、なぜか駅寝セットが用意されていました。駅ノートには、全国(神奈川、福岡、札幌、大阪、千葉、秋田など)から訪れた秘境駅ファン?によるコメントが書かれていました。
 鷲ノ巣駅の歴史は、昭和19年に鷲ノ巣信号所として設置され、昭和24年には信号所としては廃止となり、仮乗降所となります。昭和37年に再び信号所とされ旅客の取扱を行うようになり、昭和62年にはJR北海道に継承され、駅に昇格します。
 高速道路・新幹線が隆盛の時代に、鈍行で行く秘境駅の旅も良いと思います。

道道からの入口

道道花浦内浦線からの入口

鷲ノ巣駅の待合所

鷲ノ巣駅の待合所

待合所内の駅寝セット

待合所内の駅寝セット

駅ノート

駅ノート

投稿者:しんちゃん

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梅村庭園の落葉 

 秋の長雨で、木々はすっかり落葉してしまい、そんな中でマユミやナナカマドの実は、しっかり枝についていました。

紅葉の小道
紅葉の小道

紅葉の築山
紅葉の築山

紅葉の庭

紅葉の庭

 落葉樹の中には、紅葉しないものや、赤や黄色に色づくものがあります。庭園の木々では、カエデ、モミジ、サクラ、ツツジなどがとても綺麗に紅葉していました。
 紅葉とは、落葉前に葉が色づく事です。もともと、木の葉にはクロロフィルと言う葉緑素があるために緑色に見えるそうですが、秋になるとクロロフィルが分解され、カロチノイドが残るために黄色くなるそうです。一方、秋になると葉柄(ようへい)と枝の境に離層が出来ると、光合成で作られた糖分などが葉に蓄積してアントシアンという赤い色素に変化することを、狭義の紅葉と言うそうです。アントシアンの代わりにタンニン系の物質が出来ると、初めは黄色くなりその後褐色になるとのことです。

投稿者:しんちゃん

 

 

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中空土偶と岩偶

 先日、道立函館美術館の「きらりハコダテ お宝漫遊」展で、道内初の国宝に指定された函館市著保内野遺跡出土の「中空土偶」の実物を初めて見ました。展示室奥の壁一面が展示ケースとなっている中央にそれは鎮座し、光りを抑えた照明と温度・湿度管理がなされた展示ケースの中で、近寄りがたい威光を放っていました。
 国内の縄文時代の遺跡からは、数多くの土偶が発見されていますが、その中で国宝に指定されているのは、八戸市風張1遺跡出土の「合掌土偶」と茅野市棚畑遺跡出土の「縄文ビーナス」を含め3点しかありません。
 ちなみに、八雲町でも土偶は数点発見されており、特に熊石地区の鮎川洞窟出土の「メノウ入り土偶」はとても貴重なものと考えられます。国の重要文化財「コタン温泉遺跡出土品」の中には土偶はありませんが、岩偶と言って石を人の形に加工したとされるものが1点出土しています。

コタン温泉遺跡出土の岩偶

コタン温泉遺跡出土の岩偶

投稿者:しんちゃん

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