八雲の歴史」カテゴリーアーカイブ

榊原のバター飴

 先日、町内の方から榊原のバター飴を寄贈していただきました。冷凍庫の底の方から発見したとかで、未開封でした。パッケージには「賞味期限99.10.5」と記されてありました。 寄贈された榊原のバター飴   …続きを読む

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寛保津波の碑

 平成23年5月25日の北海道新聞に、東日本大震災での「津波遡上高30m超8カ所」の記事がありました。津波遡上高とは、「津波が海岸に到着した後、さらに陸地をせり上がった高さ」と説明され、さらに寛保津波 …続きを読む

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故郷からの来訪者とでんぷん製造のお話

やふー!しげちゃんです。今回は、私の故郷からの来館者についてご紹介します。  と、思って、小牧のことを思い浮かべた方々、ごめんなさい。今回は小牧市民ネットワークの皆さまのことではなく、先週訪れて下さっ …続きを読む

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奥津内製錬址のこと

 先日、町内の方から「浜松 鉄滓(てっさい)」と書かれた石の固まり状のものを頂きました。鉄滓とは、たたら製鉄などで生じるスラグ(かす)のことです。1863(文久3)年頃に奥津内(現在の浜松地区)に製錬 …続きを読む

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建築家 田上義也(1899ー1991)のこと

 田上義也は、旧帝国ホテルを建築したフランク・ロイド・ライトに師事し、ホテル完成後にはライトの助言や下宿先で知り合った有島武郎の影響もあり、北海道に渡ることになりました。大正12年上野駅から青森行きの …続きを読む

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