「旅する木彫り熊」のお話

やっほー!しげちゃんです。
今月の初め、北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターにて、木彫り熊についてのイベントがありました。

木彫り熊展示
北九州で集められた110体以上の木彫り熊たちの展示

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究ユニットと、北海道大学アイヌ・先住民研究センターの主催で、「旅する木彫り熊-アート・ツーリズム・境界-」というセミナーでした。80名ほどの方にご参加いただき、満員御礼でした。

私からは「土産品としての木彫り熊の発祥と展開」と題して、主に八雲と旭川の木彫り熊の歴史をお話しさせていただきました。

簡単に構成しなおして紹介しますと、

・熊を具象化することは縄文時代早期からみられ、アイヌ文化まで断続的に続くが、アイヌ文化ではサパンペ(冠)やイクパスイ(捧酒箸)に熊を彫ることはあっても、熊そのものを丸彫り(木からそのものを彫りだすこと)することはなかった。

・土産品としての木彫り熊は、八雲で大正13年にスイスのペザントアートを参考として彫り始めたのが発祥。旭川では独自にアイヌの木彫り技術を生かした木彫り熊を昭和元年に彫り始めたといわれる。

・戦前は八雲の木彫り熊が道内だけでなく全国各地でも販売され、「北海道観光客の喜ぶ土産品は、八雲の木彫熊」と雑誌に書かれるほど有名になったが、戦争の影響で下火に。旭川では観光客だけでなく軍事関係者(軍隊の基地があった)にも売れ、戦争中もデパートで取引があるほどだった。戦後は進駐軍がやってきて、熊だけではない木彫りの需要があったので、木彫りの技術で生活できたといわれる。

・昭和30年代からの観光ブームでは、八雲では作者が2人いたが外に出ることはなく、一部の土産物屋でたまに販売される程度で、大量生産することもなく、自分の彫り方を追及していた。旭川では、旭川で盛んに作られるだけでなく、夏には他の観光地へ武者修行と称して出かけ、木彫りの腕を競い、芸術家的な作家も育った。一方、道内では機械を使った大量生産の木彫り熊も出始めた。

・ブームが終り、土産といえばお菓子類がクローズアップされる時代に。熊は芸術作品か大量生産品か、はたまた形だけ真似たレジン製のものか。技術の伝承など課題が多い。しかし最近、木彫り熊キャンドルや、200体以上の写真が載った本が発売されるなど、木彫り熊が再注目されている…か?

といった内容でした。

 

このあと、木彫り熊作家の荒木繫さんのお話を地田さん、山崎さん、私の4人で伺いしました。

トークセッション

・石狩アイヌとして生まれ、札幌で兄と木彫りをやり、最初は乗るためのソリを彫った。

・熊は変わり種から入って、四つん這いのものを彫り、全国各地のデパートなどで行われる物産展にもよく行った。物産展に行くことで、自分に足りないものに気が付いた。

・彫った木はエンジュ、オンコ、ヤナギ、埋もれ木のタモなど10種類以上。変わり種の熊は木をタテに使い、四つん這いの熊はヨコに使った。昔の熊は丸太をうまく使っているが、最近は製材したものが多く使われて幅が決まってしまっている。

・熊を見るポイントは、顔をまず見てほしい。そして全体的な形。

・木彫り熊も安く外国で作られた輸入品が増えてしまった。韓国→中国(台湾)→ヴェトナムと生産地が変わってきている。

・昔は黒く塗った熊なら売れた。今はそんな時代じゃなく、大量生産も敬遠される。その人らしい木彫りをして、リピーターを増やしていかないと続けていけない。

といったことをお話しいただきました。

そのあとは荒木さんによる実演。

クママスク彫

小さなマスクを彫っているところ

人だかり

実演を見る人たち。
全国各地で実演販売をしてきた荒木さんは、軽快なトークをしながら彫っていきます。

完成間近

完成間近

12時に開場して、16時ごろまで会場のあちこちで木彫り熊の話題が交わされていました。

会場の様子

土曜日のお昼から、こうやってたくさんの人が集まってくれる木彫り熊は、やはり再注目されているなぁと思いました。
まだまだわからないことだらけですので、少しずつでも明らかにしていけたらいいなぁと思っています。

よろしくどうぞー!

(投稿者:しげちゃん)


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