やっほー!しげちゃんです。
今朝、再放送された『英雄たちの選択 明治維新 知られざるデザイナー ~尾張藩主 徳川慶勝~』は、ご覧いただけましたでしょうか。
今回は、常設展に展示している、慶勝由来の資料を紹介します。
これは、常設展に展示している二枚胴具足。八雲の移住者で元藩士の岡野頼の鎧です。
慶勝(当時は慶恕)は、1849年に尾張藩の14代藩主となると、1851年から藩の財政再建や軍政改革を行いました。
ペリー来航以前に開国を求めて外国船がやってくるという情報を手に入れていた慶勝は、国を守るため、特に海防力強化を重視し、知多半島の師崎と内海に砲台を築き始めました。いわゆる鎖国を続け、外国勢力と渡り合える軍事力を整備することが必要と考えていたのです(のちに天皇と幕府を結びつけたうえで開国し、諸外国から技術を取り入れて国力を強化する方針に転換します)。
1854(安政元)年に砲台が完成すると、沖に船を2隻離して浮かべ、それぞれの船の帆先から綱を張り戸板を取り付けて的とし、試し撃ちを行いました。この射手に選ばれたのが当時22歳の岡野頼で、最初の一発で命中させました。
これを見た慶勝は大変喜び、頼に徳川家に保存されていた鎧の材料一式を下賜し、その材料で制作されたのがこの二枚胴具足で、1859(安政4)年12月に完成したそうです。頼は、1868(慶応4)年の戊辰戦争の北越戦争(長岡城攻め)出兵時にこの二枚胴具足を着用しました。兜については、岡野家に代々伝えられてきたもので、江戸時代以前と考えられています。
今は資料として展示していますが、岡野家に伝来していた時は、毎年夏の土用の日に蔵から出して虫干しして手入れを行い、床の間に慶勝が書いた掛け軸「達心志」とともに飾り、御神酒を供えてから蔵にしまうことが年中行事となっていたそうです。
実物はぜひ郷土資料館でご覧ください。
よろしくどうぞー!
(投稿者:しげちゃん)