徳川さんの銅像がナニコレ珍百景に!

やふー!しげちゃんです。
先週放映されたナニコレ珍百景はご覧いただけましたでしょーか。

徳川さん
徳川さんの銅像

【珍百景No.1960】「偉人の銅像の名前なのになぜ?」 (珍百景コレクションをご覧ください)

ということで、『徳川さん』の銅像が珍百景に選ばれました。

銅像の徳川さんとは、徳川義親さんのことで、尾張徳川家第19代当主です。北海道八雲町に様々な財産をもたらしていただきました。

ざーっとあげていくと

・八雲にペザントアート(農村美術)という概念を紹介し、「八雲の土産品」から「北海道の土産品」にまで成長する木彫り熊をもたらした。
・「酪農は八雲に学べ」といわれた酪農先進地八雲。この発展を、徳川農場を通じて強力に推進した。
・木曽山の研究を踏まえ、徳川農場において山林経営を行った。
・農民の生活改善のために、レンガ造りの家や暖炉の家、ストーブなど導入した。
・公民館のところにあった高等国民学校の校長を勤めた。
・旧制八雲中学校建設の際、建築費の大半を寄付した。
などなど。

名誉町民第1号に選ばれた際、町民有志が集まって建てたのがこの銅像で、制作者は昭和から平成に活躍した柳原義達さんという彫刻家です。

除幕式
除幕式の写真。前列右から3番目が義親さん、その隣の4番目が柳原さん
(最初、前列右から二番目の人物を誤って紹介しておりました。正しくは田仲町長(当時)です。訂正し、お詫び申し上げます。)

除幕式は、義親さんにもご出席いただきまして、盛大に開催されました。

なお、今回紹介されていたスイスの木彫り熊やそれを参考に八雲の酪農家・伊藤政雄さんが作った北海道第1号の木彫り熊、そのほか大正末から第二次世界大戦前に制作された木彫り熊は、現在札幌市にある道立近代美術館で開催中の、「徳川美術館展~尾張徳川家の至宝」と同時開催されています「木彫り熊のルーツはここにあった!~尾張徳川家と北海道八雲町の深いかかわり」で展示中です。
そちらもぜひどうぞ。
最近、近美で見たので木彫り熊資料館来ましたって方が多くてうれしい限りです。

後ろから
除幕式の様子。300人以上集まったそうです。

ちなみに、徳川美術館を作ったのも義親さんなら、尾張徳川家のお宝を財団法人を作って一括寄贈したのも義親さん、巻物状態だった源氏物語を切断して保存することを決めたのも義親さんですし、小牧山を小牧町(現、小牧市)に寄贈したのも、徳川園を名古屋市に寄贈したのも義親さんです。海外では、第二次戦争中にシンガポールのラッフルズ博物館植物園を戦火から守るだけでなく、資料整理を行って返還するなど、とても広い視野を持ち、自分の信念に沿って行動された方でした。

せっかくなので参考文献をご紹介しておきましょう。

・『友情は戦火をこえて-博物館を戦争からまもった科学者たち-』石井美樹子著
子供向けに簡単に書かれた本。戦争からラッフルズ博物館植物園をどうやって守ったのか。

・『思い出の昭南博物館 占領下シンガポールと徳川侯』E.J.H.コーナー著、石井美樹子訳
上の本の新書版で大人向け。

・『最後の殿様-徳川義親自伝』徳川義親著
義親さんによる自伝。読みやすく、義親さんのお人柄が出ています。

・『伝統工芸の創生-北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』大石勇著
木彫り熊が誕生した経緯と、その発展について書かれた論文をまとめて単行本にしています。

・『殿さまのひとりごと』徳川義宣著
義親さんの言葉が引用されていたり、八雲に対する義宣さんの思いが書かれています。

・『三訂八雲町史』八雲町
いろんなところに義親さんや徳川農場の話が出てくるので、まとめ直してみるだけでもかなり勉強になりますよ。
…校正、大変だったなぁ(遠い目

以上の本は、八雲町立図書館にて読むことができます。
また、8月の本の特集コーナーでは尾張徳川家と愛知県関係の本が並んでますよ。

そんなわけで、夏休みの自由研究に、義親さんを研究してみてはいかがでしょーか。
よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)


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