八雲と関係のあるスポット巡り

やふー!しげちゃんです。
先日、所用でちゃちゃっと愛知戻ってちょいっと三重県は松阪市とご存じ小牧市へ行ってきたので、そのお話です。

まずは三重県松阪市。
ここの出身者(松阪市の中でも旧三雲町内)に、とても北海道と縁の深い人がいることをご存じでしょうか?
 幕末にアイヌ民族の協力のもと北海道を探索し、明治維新後は政府に登用されて、「北海道」の基となった「北加伊道」の改称案をあげるとともに、支庁や郡名もアイヌ民族の地名を基にした案を出した『北海道の名付け親』と呼ばれる人物、松浦武四郎。
探検家であり、作家であり、出版者であり、学者であり、収集家である多才な武四郎。
その松浦武四郎記念館へ行ってきました。
 そこでは「松浦武四郎の記念碑」という地図が配られているのですが、そこに八雲町も載っています。
実は由追(ゆい)稲荷神社が武四郎と関係が深く、神社には説明板を設置しています。

由追稲荷神社
由追稲荷神社

武四郎は、蝦夷地調査に赴く折々にこの社に詣で、捧げものをして道中の安全を祈っていました。
「天地の神も知りませ国の為千島の奥に思ひ入る身を」(『東蝦夷日誌』)
と、詠じています。
 この由追稲荷神社ですが、山越駅から国道5号(大沼国道)を函館方向(東)に向かうとあります。昭和40年に国道5号が山側に路線変更されたとき、神社の位置はそのままで、山側に拝殿の向きを変えたという経緯があります。
この神社については現在大校正中の三訂八雲町史に掲載されていますので、発刊をお楽しみに!あと三ヶ月ちょっとか(遠い目

 なお松浦武四郎記念館では現在、「AINU ART 風のかたりべ」という特別展が開催されています。来年2月2日からは北海道立近代美術館でも開催されます。

次に愛知県小牧市。
 愛知に住んでいたとき、ボーイスカウト関係で何度か小牧山にある青年の家に泊まったことがあり、馴染みあるのですが、ついぞ小牧山山頂に登ったことはなかったので行ってきました。
 小牧山の山頂には小牧城とも呼ばれる「小牧市歴史館」が建っています。これは織田信長が建てた城を復元したものではなく、豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第の姿を伝えるとされる西本願寺飛雲閣をモデルに昭和43(1968)年に建てられました。建てたのは名古屋市在住の実業家、平松茂氏で、完成後市に寄贈されました。

なお、信長時代に小牧山にあった建造物は不明なのですが、以前から山頂付近を発掘調査していて、全国的にも珍しい初期石垣が発見されています。

石垣の石

発掘調査で掘り出された石垣の石と裏込め石。

調査終了して戻すまで屋外展示しているそうです。
その調査の様子を撮影した映像や資料を歴史館の中で見ることができます。以前城跡の調査に関わったことがあったので、なかなか興味深く拝見させていただきました。そういえば小牧城は先日、NHKでも特集されてましたね。
 その小牧市歴史館の前には、徳川義親公の銅像が立っています。

小牧城

すっごく秋っぽい一枚なんですが、これ撮ってから歴史館見学していたら雪が降ってくるとゆーね。
まさか降られるとは思いませんでした。なんでも愛知で12月上旬に雪積もるのは1996年ぶりとか…。
まだスタッドレスに履き替えてなかったので、ちょいとばかり八雲より運転するの怖かったです。バッキバキに凍ってる感じなかったのでまだよかったんですけども。
…そういえば雪の上だと、停まったまんまでハンドル切っても全然抵抗ないんですね。ツルッツル!いや雪がほとんど無いとこで生活してたらこんなもんですて。歩くのも怖いぐらいですし。ですので事故らないようにかなり注意して運転してます。

そんな感じの一時帰郷でした。次回は徳川園に行きたいなぁとか思いつつ。
よろしくどうぞー。

(投稿者:しげちゃん)


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