明治期に、大野村・文月村(現北斗市)に、徳川家が所有していた養蚕場がありました。開拓使が大野に養蚕場の設置を決め、明治8年に旧庄内藩(現山形県酒田・鶴岡地方)の人達によって桑園約30ヘクタールが開墾されたのですが、明治14・15年をピークに不振が続き事業を止めたそうです。
その後、明治19年に北海道庁より3ヵ年の期限で、徳川義禮侯(第18代当主)が養蚕場の土地の無償貸与を受けました。同21年には義禮侯の願いにより、養蚕事業を継続するという条件で、土地と建物などの払い下げを受けたそうです。事業は継続されましたが,"収支相補うことがなく"同24・25年頃に養蚕を止めて、桑園その他の耕地を小作人に貸して、その他は植林するなどして山林経営をしたそうです。その後の記録が無く良く分かりませんが、昭和16年に北海道庁に土地が移管され、大野農業高等学校が建設されました。なお、高校敷地内にある杉並木は、徳川農場時代の明治22年に植栽されたものだそうです。
徳川家の大野農場事務所看板
投稿者:しんちゃん