さる7月15日に国立国語研究所による「方言の形成過程解明のための全国方言調査」が、八雲町でも行われました。調査対象者の条件は、70代の八雲町生まれで、15歳までよそで生活していない人。また、16歳以降、よそでの生活が10年以内である人を一人紹介して欲しいという事で、条件を満たしている町内在住の某さんにお願いして、調査員が来町されての調査が行われました。
後日、調査員より電話でお礼の言葉と共に、簡単な感想を頂きました。「今回の調査対象者が、標準語に非常に近い言葉で話されているのに驚きました」と言うことでした。また、八雲は尾張出身者が多いので、今でも名古屋弁を話される人がいるのでしょうかと言う質問を受けましたが、調査を行っていないので、明確な回答は出来ませんでした。
参考に、出典は不明ですが手元にある「北海道に渡った名古屋弁」という雑誌記事を紹介します。記事の中に、郷土史を研究されている小泉武夫さん(79)とあることから、小泉さんの生年月日から逆算して、今から23年前の昭和63年頃に書かれた記事と推察されます。
記事の内容は、八雲町にどの程度「名古屋弁」が伝承されているかというテーマで、尾張言葉を話すことができる(だろう)高齢者5人に集まってもらい、ざっくばらんに語り合ってもらうという企画でした。結果的にこの時は期待したほどの会話には至らなかったそうです。
その当時で、既に移住者は三代目、四代目がおおく、純粋な尾張言葉を話せる人が減ってきたと書いてありました。片桐助作さんの孫に当たる片桐直利さん(82)の話によると、祖父や両親から聞かされた尾張の言葉で、「ごみゃーす」「おいでやーす」「いりゃーせんか」「おそがい」などの言葉を今でも覚えているそうです。
また、自分より年上の人を呼ぶときには「○○さん」を「○○ソン」と言うそうです。ごく親しい間柄では、一人でも「○○シュウ」と言い「衆」の字をあてるそうで、「○○ちゃん」と同じ意味ではと推測しています。これらは尾張武士言葉の名残ではとも書かれていました。
平成21年に出された報告書
投稿者:しんちゃん