熊嶺の里へ

 先日、町外の方から、八雲で熊嶺小中学校の同窓会があるので、ついでに熊嶺の学校があった場所に車で行きたいが、行けるだろうかと言う電話がありました。自分が10年以上前に行った時は、途中の道路が崩落して徒歩で現地に行った記憶があるので、そのことを伝えました。後日、実際に車で行ってみると、樹木の伐採作業が行われており、その為か道路が整備され、熊嶺小中学校跡まで行くことが出来ましたので、その事を伝えると大変喜ばれました。
 熊嶺地区は、昭和21年に戦後の緊急開拓により、大新の奥、サランベ川沿いの国有地を開放して、15戸が入植したのが開拓のはじまりです。八雲市街地から12km余り入った所で、はじめは電気、電話、水道もなかったところです。
 学校は、昭和24年7月に「八雲小学校熊嶺分校」が開校したのがはじまりで、その後「大新小学校熊嶺分校」となりました。昭和27年には「熊嶺小学校」に昇格し、同年11月に「熊嶺中学校」の設立が認可され「熊嶺小中学校」と言う併設校となります。もっとも児童・生徒数が多かった年は、小学校で昭和32・33年に21名、中学校で28年に11名であったそうです。昭和40年代にはいると、山間辺地の離農者が続出し、昭和47年11月に熊嶺で最後の家族が離農し、集落の人口が零になり、同年12月1日に統合による廃校式が行われたそうです。

熊嶺に向かう道路
熊嶺に向かう道路(途中から砂利道になる)
石橋を渡る
細い石橋を慎重に渡る
クリンソウ
道路左側に可憐なクリンソウが咲いていた
砂利道を進むと
さらに砂利道を進むと
道路右側の廃屋
道路右側に廃屋が見える
樹木が伐採されている
忽然と樹木の伐採作業が行われている場所が現れる
丁字路を左に折れると熊嶺地区
丁字路を左に折れると熊嶺地区(右に折れると乙部方面へ)

熊嶺小中学校の校門跡

 
 以前は、門柱とその横にコンクリート製の熊がそのままの状態で残っていましたが、今回見ると、門柱は崩れ熊は横倒しの状態にありました。廃校記念碑を確認するために笹藪を漕ぎながら探しましたが、今回は確認することは出来ませんでした。

投稿者:しんちゃん

 


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