奥津内製錬址のこと

 先日、町内の方から「浜松 鉄滓(てっさい)」と書かれた石の固まり状のものを頂きました。鉄滓とは、たたら製鉄などで生じるスラグ(かす)のことです。1863(文久3)年頃に奥津内(現在の浜松地区)に製錬所が作られたという記録がありますので、その場所のものと考えられます。
 製錬址について書かれたものによると、道南地方には海岸部に砂鉄が多くあり、近世以降に砂鉄製錬を試みた人が多くいたそうですが、砂鉄の採掘と運搬に経費がかかるのと、道南部の砂鉄にはチタンが多く含んでいることから鉄収率が悪く、いずれも上手くいかなかったそうです。経営者の佐藤某は、千両箱を積んでこの事業を行ったと伝えられていますが、実際には6~7年で事業を止めたそうです。
 奥津内製錬址の場所は、昭和46年に八雲町文化財調査委員によって、鉄山丘陵の東側傾斜地(浜松439番地付近)であったことが確認されています。

奥津内製錬址の鉄滓
奥津内製錬址の鉄滓

投稿者:しんちゃん


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