先週報道があった件ではたくさんの皆様にご迷惑をおかけしております。
今回の件を重く受け止め、町の信頼回復のために一職員として粛々と業務をこなしてまいりたいと存じます。
さて、早いもので、もう7月に入りました。
7月5日の土曜日からは、札幌市の道立近代美術館にて「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」が開催されます。
私の前エントリにて八雲町も展示に参加させていただくことをご紹介しました。
先月、美術梱包を担当している業者さんがやってきて、現在も尾張徳川家当主が社長を務める八雲産業株式会社からお借りしている資料を梱包し、近代美術館へと運んでいきました。
こういった梱包というのは我々よりも場数をこなしている業者さんたちのほうがはるかにうまく、立会しながら技を観察させていただきました。
梱包された後、無事近代美術館へと届けられ、展示されます。
今回の「木彫り熊のルーツはここにあった!~尾張徳川家と北海道八雲町の深いかかわり」出展品は、義親公がスイスから持ち帰ってきた木彫り熊を含んだ民芸品や、その這い熊を参考として八雲の酪農家伊藤政雄氏が作った北海道第1号の木彫り熊、そして昭和初期に八雲で作られた木彫り熊たち、さらに義親公がアイヌ文様とユーカラ「銀の滴降る降るまはりに」を彫ったお盆もあわせた29点です。
また、個人蔵のスイスで作られた熊の学校、八雲で作られたスケッチしている熊も展示されます。
そして八雲にとって大きな意味があるのは、東京都にある徳川林政史研究所から出展される「書付 徳川慶勝」です。
これは明治時代に八雲開拓を主導した徳川慶勝公が、亡くなった明治16年頃に自ら筆をとった書付(書状)で、八雲に対する慶勝公の思いが綴られています。
この書付はピンク色をした紙で、去年名古屋市にある徳川美術館で行われた「徳川慶勝 知られざる写真家大名の生涯」(平成25年の展示で、もう終了しています)でも展示されていました。
(この展示作品リストや図録で書付は明治11年の筆となっていますが、正しくは明治16年頃です)
なお、この書付の論文での初出はおそらく2010年で、広く全文が公開されてからあまり日が経っていないと思います。
この機会に、ぜひご覧ください。
なお、近代美術館での展示のため、八雲町木彫り熊資料館の展示室では、一部の作品が写真展示になっております。
ご了承ください。
よろしくどうぞー!
(投稿者:しげちゃん)