埋蔵金と金の櫛

 八雲町にも埋蔵金伝説があります。この話は、ある程度有名な話です。明治元年に榎本武揚率いる徳川脱走軍が蝦夷地を平定しますが、翌年には新政府軍に攻めこまれ、五稜郭から敗走することになります。その徳川脱走軍が、鉛川鉱山に攻めて来るのではという噂が立ち、鉱山の責任者がアイヌの親子に頼み、雄鉾岳の麓に埋蔵金を埋めて桐の木を植えたという伝説です。その埋蔵金ですが、金銀塊20個であったり、50個であったり本によって違いますが、桐の木を植えたというのは共通しています。
 また、鉱山の若い奥さんが畑を耕していて、金塊が出てきて大騒ぎになったと言う、ピリカベツ駅逓をやっていた高見米太郎さんの話も紹介されていますが、違う本には金塊ではなく金の粉と書いているものもあります。
 閉山した鉱山共同浴槽の男湯タイルの底から、時価数億円もする金の櫛が発見されたという話も紹介されていますが、金の櫛とされているものは現在郷土資料館展示室に、ひっそりと飾られています。
 ※ちなみに金の櫛と言われているものは、金ではありません。
 「日本の埋蔵金」研究所のホームページに八雲の埋蔵金の話が紹介されています。

金の櫛
「金の櫛」とされているもの

投稿者:しんちゃん


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