化け猫退治
落部地域のおはなし
MAP No.21【化け猫退治】
明治39年の晩春の頃、辨開凧次郎の住んで居た付近に、3.3メートルの化け物が出るという、うわさが起きました。八月の満月の夜半に、ここを通りかかった落部の男が化け物に襲われ、凧次郎の家に逃げ込みました。そこで、凧次郎の長男の勇吉が猟銃と二匹の犬を携えて現場に駆けつけて、化け物を射殺しました。この化け物をよく見ると尾の先端が三つに裂けた赤白の猫でした。
化け猫退治
辨開凧次郎の住んでいた通称馬坂と呼ばれていた付近に、毎夜一丈(約3.3メートル)余りの怪僧姿の化け物が出るといううわさが起きたのは、明治39年の晩春のころだった。
その年8月15日の満月の夜半、落部の宮本某が、うわさの馬坂付近を通行中に怪僧が現れ、両眼らんらんとして襲いかかったので、悲鳴を上げて凧次郎の家へ逃げ込んだ。
凧次郎の長男勇吉は猟銃を携え、アネコ、タメコの2匹の犬とともに現場に駆けつけたところ、例の怪僧姿の化け物が、草むらの柳の細枝に居たので、猟銃をもって射殺した。
この化け物をよく見ると、尾の先端が三つに裂けた赤白の猫であった。
勇吉の武勇伝は直ちに新聞に報道され、重量四貫目(15キロ)に達する猫ということで、近郷から見物に来る者もあり、後に「蝦夷径猫退治劇」として、函館や森などで上演されたといいます。
この話には後日談があり、森でこの劇が上演されたときに凧次郎が見に行ったところ、猫は四貫目くらいでしたが、凧次郎の妻を鬼婆に仕組んであったため、凧次郎はたいへん怒って、村岡格(凧次郎が尊敬していた森村の医師)を通じて大いに抗議したとのことです。
「落部村郷土史」