奇岩雲石

奇岩雲石

熊石地域のおはなし

MAP No.18【奇岩雲石】

セタナイ(瀬田内、現在のせたな町)で、アイヌの族長タナケシが戦いをおこした際に、松前家三世 上ノ国城主が、家臣の兄弟に討伐を命じます。タナケシ軍の勢力が強く、兄は瀬田内で討ち死にしますが、弟は熊石まで逃げます。弟が、雲石海岸の岩場に隠れていたところ、黒煙が吹き出し、雷光がとどろき渡りました。この天変地異により、タナケシ軍の厳しい追手を逃れ、上ノ国に戻ることができました。

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工藤八郎左衛門と雲石の変

享禄二(1529)年に瀬田内で、西部のアイヌの族長タナケシが戦いをおこします。
松前家三世 上ノ国城主の蠣崎 義廣は、家臣 工藤九郎左衛門祐兼(すけかね)とその弟 八郎左衛門祐致(すけとき)の兄弟に、これの討伐を命じますが、タナケシ軍の勢力が強く、祐兼は瀬田内で討ち死にし、祐致は熊石まで逃げます。
タナケシ軍の厳しい追手に、祐致が雲石海岸の岩場に隠れていたところ、突然、岩から黒煙が吹き出し、空がまっ暗になったと思うと、激しい雷光がとどろき渡りました。のちに祐致は、一命をとりとめたことに感謝し、岩の上に八雲神社を創建しました。
この伝説は熊石で永く伝えられ、現在でもこの岩上に八雲神社が祀られています。

雲石を描いた鳥観
幕末に、雲石を描いた鳥瞰図「延叙歴検真図」函館市中央図書館所蔵
奇岩雲石伝説のジオラマ
熊石歴史記念館にある奇岩雲石伝説のジオラマ

■奇岩雲石

奇岩雲石

〒043-0417 北海道二海郡八雲町熊石鳴神町123

「八雲市街」より車で約50分