東のアイヌモシリとの境
山越内関門と会所
寛政12(1800)年、幕府は外圧から松前藩に代わって東蝦夷地を直接管轄することとしますが、その折、従来蝦夷地であった箱館六ヶ場所(小安から野田追まで)を和人地に組み入れたため、東のアイヌモシリの境は、野田追の北端(由追)の境川に改められました。
そして新たに東蝦夷地の入口となった山越内には、「会所」が置かれることとなりました。官吏が常駐し、官吏の宿泊、逓信、治安業務などとあわせ、アイヌ交易の「運上屋」を引き継ぎ幕府直営とし、それまでの交易の不正を正し、撫育に努め、アイヌとの和親を旨とする経営方針が課せられました。
また、蝦夷地・和人地境が改まったことから、従来の亀田番所にあった改め番所機能(関門)を「山越内会所」に移管し、蝦夷地への出入り取締りも併せ行われることとなりました。やがて関門は文久元(1861)年に蝦夷地出入りが自由となったため、その役目を終えました。
■東のアイヌモシリとの境
〒049-2671 北海道二海郡八雲町山越207−1
山越中央会館
「JR山越駅」より徒歩約3分